《みいり》と、自分の畑のものを売った利益などで純農民は生計を立てて行かなければならない。
 表面上は立派に自由の権利を持って居る様では有るけれ共、内実は、まるでロシアの農奴の少し良い位で地主の畑地を耕作して、身内からしぼり出した血と膏は大抵地主に吸いとられ、年貢に納め残した米、麦、又は甘藷、馬鈴薯、蕎麦粉《そばこ》などを主要な食料にして居るのである。
 小半里離れた町方に彼等は主に地主を持って居た。この町はこの頃になって急に目覚ましい活動をはじめた町で、金銭の活動はにわかに、せわしくなって来ても依然として、それ等金銭をあつかうものの頭は、金銭につかわれる方なので、驚くほど物質的な、金《かね》にきたない町になって来た。
 そのためこの四五年と云うもの只金ばかりに気を取られて居る町の地主等は、年貢米の一斤一合の事までひどくせめたてて、元《もと》、半俵位の事ならそうひどい事も云わず来年の分に廻しその補いに、野菜や麦を持って来させて居た自分等の心をあやしんでいるらしい様になって来たのである。
 四五年つづく不作と、地主等の悲しい心変りによって苦しむ小作人は自分が小作人である事をつくづくと悲しがって居た。
 独立する資力がないばっかりに、地主の思うがままにみじめな生活をさせられて子供の教育も出来ず、二度とない一生を地主に操られて、働きへらして飼殺し同様にさせられて仕舞う。
 小作をしないで暮すと云う事は農民皆が皆の希望だろうけれ共、地主に飼殺しにされた親達は又それと同様の運命を子供に遺して、その苦しい境遇から脱し得るだけの能力は与えなかった。
 彼等、哀れな農民の上に運命の神は絶大の権威《けんい》を持って居るのである。
 泣く泣く堪えきれない不満を心に抱きながらも、暗い運命に随うよりほか仕方はないのである。
 追いかけ追いかけの貧から逃れられない哀れな老爺が、夏の八月、テラテラとした太陽に背を焼かれながら小石のまじったやせた畑地をカチリカチリと耕して居る。其のやせた細腕が疲れるとどこともかまわず身をなげして骨だらけの胸を拡げたり、せばめたりして寝入って仕舞う、そのわきから掘り返された土は白くホコホコに乾いて行く様子は都会の生活をするものの想像できないみじめな有様で、又東北のやせた地に耕作する小作男を見ないものには味われない、哀れな、見る者の胸さえ迫って来る様な痛々しいものであ
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