いつくしてから、
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「けど、己《おら》の田はいい方なんだっし、
 御年貢だけはありやすかんない。
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と云うのである。
 それを云うまでにも口がよくもとらないのでどもったり、「ウウーウ」と云ったりする間と、茶を飲み、煙草を吸う時間が加わるので、それだけでもう、大抵の人間は聞き疲れて仕舞う。
 大きな声で話すのならそうでもないだろうけれ共、低い低い声でうめく様に云うのだから、聴くものの気がめ入る様に陰気になって来る。
 それが此の男のねらい処である。自分が、口がうまく廻らない話下手だと知ってからは、いつでも聞手の泣きそうになるまで、クドクドと何か云ってききあきて五月蠅《うるさく》なって来るのを見すまして本意を吐くのが常であった。
 祖母はもうききあきて来る。
 始めの中《うち》は煙草の火などを出してやった下女も、もう前の庭で草の手入を始め、祖母も聞いて居ない様な顔をして「くるみ」を破《わ》っては小さいかごにためて居る。只、今の処は私ばかりが菊太の忠実な聞手である。菊太をつくづく見たいばっかり、知りたいばっかりに私は一言《ひとこと》も口は利かないながら、わきに座って居る。
 話そうと思った事をあらまし話して仕舞うと、次に話す事を考えでもする様に、体に合わせて何だか小さい様に見える頭を下げて、前歯で「きせる」を不味《まず》そうにカシカシかみながら、黙り込んで居る。
 百姓などで、東京のものの様に次から次へと考えずに話をするものが有ったら、それは大抵善い方に利口ではないものである。
 他人の事を悪し様に云い、一寸したものをちょろまかさない位の農民は、大抵この男の様な様子をして話すものである。
 菊太は沈黙の間に話の順序を組たてるのである。出来るだけ哀れっぽく、哀願的に聞える様に苦心するのである。
 考えて居る間も、他の百姓の様に、故意《わざ》とらしい吐息《といき》をついたり、悲しい顔付をして見せるでもなく、只、ボンヤリ気抜けの仕た様に考え込んで仕舞うのである。自分の満足した考えを得るまで必[#「必」に「(ママ)」の注記]して口を切らない。そんな時には、益々頬のたるみが目につき、小さい眼は倍もショボショボになって居るのである。
 しばらくだまって居たっけがやがて頭をあげて、小さい庖丁をつかって居る祖母の手許を見ながら云い出した。

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