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「御隠居様、
 御年貢の分だけは、はあどうにか斯うにか取りましただハイ。
 それは確なことでやす。
 けんど貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]者は、いつでも貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]でなし、
 御年貢は取れてもはあ、去年の鬼奴《おにめ》がまだついてやすでな。
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 祖母はだまって居る。
 鶏も鳴かない静かな中にパチンパチンと乾いた「くるみ」のからの破れる音が澄んで響いて居る。
 菊太は私を見た眼をすぐ祖母にうつして又云い続ける。
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「去年は草取頃に、婆様にはあ逝《い》かれて、米と桶の銭を島の伯父家《おじげ》に借りさあ行って事《こと》うすましやした。悪い時にゃあ悪い事べえ続くもんで、その秋にゃ娘っ子が死にやしたかんない。
 今年は今年で、お鳥(女房の名)が指さあ、張《は》れもの出来《でか》して、岩佐様さあ七十日がな通いましただ。
 鎌で切った処さあ悪いものが入ったそうで、切って二針三針縫って膏薬くれたばかりで御隠居様、有りもしねえ銭十両がな取られやした。
 少し金があればはれもの出来したり、不幸が続いたりしやして、島《しま》の伯父家《おじげ》にも、お鳥が実家《さと》さも、不義理がかさみやす。確かに御年貢だけは取れやした。
 けんど、岩佐様さあやる銭《ぜに》が無《ね》えで去年の麦と蕎麦粉を売りやしたで、もう口あけた米一俵しか有りましねえで……
 御隠居様、ほんに相すまねえでやすが一俵だけまけてやって下さりませ。
 来年は、どうでもして返《な》しやすかんない、御隠居様。
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 此事以外菊太の云う事はないのである。
 幾度繰り返しても只この中の一つ二つの言葉をかえる許《ばか》りだけれ共、どんな事が有《あ》っても、「七十日」と「十円」を抜かす様な事は決して決して金輪際《こんりんざい》無いのである。何の抑揚もなく、丁度|生暖《なまぬる》い葛湯を飲む様に只妙にネバネバする声と言葉で、三度も四度も繰かえされてはどんな辛棒の良いものでもその人が無神経でない限り腹を立てるに違いない。
 斯うなると、菊太と祖母は只|根《こん》くらべである。つまる処は根の強い菊太がいつもいつも甘《うま》い事になって仕舞うのが常である。
 祖母は、自分の聞きともない願事に、なるたけ気を腐らせまいと絶えず手か体
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