みを少しも感じた事のない私でさえ、どうしても受け入れる事の出来ない裏書のある親切に会う事はかなり度々《たびたび》である。
 子供達から云えば、私は真の路傍の人である、あかの他人である。いきなり入ってやさしい言葉をかけたのを妙に思うのは無理ではない。けれ共、真の親切を、装うた親切と見分ける眼をふさいで仕舞った、子供心に染み染みと喰い込んだ生活の苦しみと、町の地主等を憎く思うのである。私は斯うやって長い事考え込んで居た。
 家の小作人の菊太《きくた》と云う男が私のわきに来て、
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「良いお日和でござりやす。
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と低い声で呼びかけるまで、甚助の児がなげた石が足にあたって、そこが、うずきでもする様に、苦しい、さわると飛び上るほど、痛い様な気持で居た。

   (三)[#「(三)」は縦中横]

 菊太《きくた》は願い事が有って来たのであった。
 新米の収獲が始ると、菊太は来るものにきまって居ると祖母達は云って居る。毎年毎年欠かさず、袷時分になると一二里あるはなれた村からここの家まで来るのであった。
 いかにも貧乏しそうな、不活溌な、生気のない、青黒い顔をして居て、地蔵眉の下にトロンとした細い眼は性質の愚鈍なのをよく表わして居る。
 こんな農民だとか、土方《どかた》などと云う労働者によく見る様な、あの細い髪《け》がチリチリと巻かって、頭の地を包み、何となく粗野な、惨酷な様な感じを与える頭の形恰をこの男は持って居るけれ共、不思議な事には心はまるで反対である。
 紺無地の腰きりの筒《つつ》っぽを着てフランネルの股引《ももひき》をはいて草鞋ばきで、縁側に腰をかけて居る。紺無地の筒っぽと云えば好い様だけれ共、汗と塵で白っぽくなり、襟は有るかないか分らないほどくしゃくしゃに折れ込んで、太い頸にからみついて居る。袖口は切れて切れて切れぬいて、大変長さがつまって仕舞って毛むくじゃらの腕がニュッと出、浅く切った馬乗は余程無理をすると見えて、ひどいほころびになってバカバカして居る。股引だって膝の処は穴があいて居るし、何と云う無精な女房なんだろうとさえ思われる。
 祖母は此の男に会う事をすいては居ない。
 けれ共この家一さい一人手で切り盛りして居るのでいやでも応でも、会わせられるのであった。厭《きら》われるのは願い事がきまって居るからもあるし、それにあん
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