さで、何も考えるいとまもなく急《いそ》いだ。祖母の顔を見るとすぐ、
[#ここから1字下げ]
「甚助の家《うち》の児達は、ほんとうに、いやな児だ!
[#ここで字下げ終わり]
と云ったっきり縁側に腰をかけて仕舞った。口に云われない安心が切り下げの祖母の姿と、さっぱりときれいなあたりの様子から湧き出て私の心に入って行った。
私は何の不幸も知らない、世の中はいつでも親切なつもりの言葉は、親切な様に、情深い話はその様にばかり聞かれるものの様な気がして居る。
又、それが、必[#「必」に「(ママ)」の注記]してそうばかりではないのも知って居ながら、実際、自分の親切な言葉をああした調子に返され、その上、後から小石まで投げつけられ様とは何だか不思議な様な気がした。
人にねらわれた事のない私、ああやって、形に表われた様な事で小石の的《まと》にされた事などのない私はどんなに気味悪く思っただろう。私は甚助の子供の気持より、はるかに単純で臆病なのを知るのであった。
彼の子供達は、私の親切な言葉のかげに何か、たくらみのあることを想像したのだろう。
その体の良い仮面《めん》をかぶった悪いたくらみを深入りさせないうちに追いはらおうとしたのであろう。
私は、ちょんびりも、そう云う気持は持って居なかったけれ共、彼等が生れるとから、両親が町の地主にいじめられ、いろいろの体の好《い》い「罠《わな》」に掛けられた事を小さいながら知り、それ等の憎むべき敵は皆自分達より良い着物を着、好い食物をたべて、自分達の使わない言葉を使って居ると云う事の記憶から、私をそれと同様のものにみなしたのであったろう。子供達が悪いのでもないだろうし、親が悪いのでもないだろう。只生活の苦しみが子供達までそんな悲しい気持にさせて仕舞ったのである。
その根元から覆《くつがえ》して、世の外《ほか》へ投げやりたい生活の苦しみは、いつの世にあっても、人間が生活をして居る間は絶えない事であるのを思えば、生活の苦しみに打ち勝ち得る智力とそれにともなう肉体を持たないこの子供等と同じ様な気持の人が幾百人、幾万人、また無窮にこの世に生れては死し、死しては生れしなければならないだろうと云う事も思うのである。親切を親切としてうけ入れられない事のある世の中、それは実に悲しいことである。この様な、世に出てから時の少しほか立たない私でさえ、生活の苦し
前へ
次へ
全55ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング