私の居る、今は何も作ってない畑地に向って居る。
この二つの入口だけであと天窓ほかない此家の内部は屋外からのぞいた明るい眼では、なかなか見られないほど暗く陰気である。
野菜の「すえ」た臭《にお》いと、屋根の梁の鶏の巣から来る臭いが入りまじって気味悪く鼻をつく。
暗さになれてよく見ると、五坪ばかりの土間の一隅には朽ちた「流し」と形ばかりの「かまど」がある。
そのわきにじかに置いた水桶のまわりは絶えて乾くと云う事はないらしくしめって不健康な土の香りとかびくささがいかにもじじむさい。
馬鈴薯と小麦、米などの少しばかりの俵は反対のすみにつみかさねられて赤くなった鍬だの鎌が、ぼろぼろになった笠と一緒にその上にのっかって居る。
鶏にやる瀬戸物を砕いた石ころが「ホウサンマツ」を散[#「散」に「(ママ)」の注記]きらした様にキラキラした中にゴロンとだらしなくころがって居る。
梁《はり》にある鶏の巣へ丸木の枝を「なわ」でまとめた楷子《はしご》が壁際に吊ってあってその細かく出た枝々には抜羽《ぬけは》だの糞だのが白く、黄いろくかたまりついて、どっか暗い上の方でククククと牝鶏の鳴いて居るのさえ聞える。三尺ほど高く床が張ってあって、縁《へり》なしの踏む後《あと》からへこんで、合わせ目から虫の這い出そうなボコボコの畳が黒く八畳ほど敷いてある。燃木《たきぎ》の火花が散ってか、大小の焼っこげがお化けの眼玉の様にポカポカとあいて居る。
上《あが》り框《がまち》に近い方に大きく切った炉には「ほだ」がチロチロと燃えて、えがらっぽい灰色の煙が高い処をおよいで居る。畳の隅の「みかん箱」の様なものの上に、水銀のはげた鏡と、栂のとき櫛の、歯の所々《ところどころ》かけたのがめっかちのお婆さんの様にみっともなく、きたなくころがって居る。
壁に張った絵紙を大方はその色さえ見分けのつかないほどにくすぶって仕舞って居て、片方ほか閉めてない戸棚から夜着の、汚いのがはみ出て居るわきの壁には見覚えのある高貴の御方の絵像が、黄ろく、ぼろぼろに張りついて居るのである。
家中見廻して何一つこれぞと云うほどのものもない、洞の様な、このがらんどうで、到る処に貧《ひん》のかげの差しただようて居るこの家の様子は私が始めて見る――斯う云う家、斯う云う生活もあるものかと思ったこの家の中に、色のやけてやせこけた、声ばかり驚くほど
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