ればたちよる人の影もまれである。
 斯んな村にも、厳な大神宮がある。檜と杉の森を背に、三番池を見下して居る。村に置くには勿体もないほどであるけれ共、主だった事々が行われるにはいつも、県庁の役人が出向くのが常である。
 とうに別格官幣大社になるはずではあるけれ共、資産のとぼしいばかりに今も尚、幾十年かたここに建てられたと同じ位に居なければならないのであった。
 それほど差し迫った生活の味を知らない私共は、真の貧と云う事は知らない。
 精神的に慰安を受ける或る物を常に頭に置いて考えるので、金もなく、生活に苦しんでも、不義の富をむさぼるよりは意味深いと云う事を云う。けれ共、農民が、何の慰安もなく、確信も主義もなく、只貧しく、只金がなく、冬の長い北の国に日々の生活に追われて居て考える貧と云うものに対する感じは何もないのである。只、恐ろしい、只逃れたいばかりのものである。
 私共の思う貧にはいつも精神的の富みがつきまとうて居る。
 けれ共、物質的に精神的に貧しく金のない此等の農民の生活は実に哀れな、より所のない、一吹きの大風にもその基をくつがえされそうなものである。

   (二)[#「(二)」は縦中横]

 村の南北に通じた里道に沿うて、子供沢山で居て貧しい小作男の夫婦が居るあばら屋がある。
 町に地主を持って居て、その畑に働いて居るのだけれ共、段々に人数はますし、ゆとりのあるほど沢山とれる年がないので、夫婦は日の出るから暗くなるまで、畑地の泥《どろ》にまみれて食うためにばかり働いて居るのである。
 盆、正月にも、新らしい着物は作れないと云う事だ。働いても働いてもゆたかな暮しが出来ないので、幾分かすてばち気味に、少し金が入るとすぐ何かかにかにつかって仕舞うので、よけい切りつめた暮しをしなければならないらしい。
 私はその小作人の家のすぐの処で草を刈《か》って居る婆さんとその裏にぴったりよった処にある木の根っ子に腰を下して、膝の上に頬杖を突いて秋の初めの太陽の光に鋭く反射する鎌の先をながめながら下らない話をして居る。婆さんは此処の貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]な事をしみじみ同情する様な口調で話してきかせた。
 話をきいて私はつと家の中を見たい気になり、木の根っこから乗り出して裏口から半身を家の中へ入れる様にして中の様子を見ようとした。
 三尺位の入口は往来に面し裏口は今
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