を磨いでうなる猫と、腹立たしそうにクワンクワンと叫ぶ犬を取り巻いて居る事がよくある。向いの家の猫が自家の鶏を取った事から、気づ[#「気づ」に「(ママ)」の注記]くなった家なんかも有った。
 家畜と云うほどの事もない、犬や猫に入り混って叫んだり、罵ったりして暮す子供等は、夏は、女の子は短っかい布を腰に巻いたっきり、男の子は丸のはだかで暮すのである。けれ共十四五から上のにもなれば、まさか、手拭で作った胴ぎりの袖なしだの、黒い単衣を着てなんか居る。
 冬は、母親のを縫いちぢめた、じみいなじみいな着物を着て、はげしい寒さに、鼻を毒《そこな》われない子供はなく皆だらしない二本棒をさげて居る。
 髪は大抵、銀杏返しか桃割れだけれ共、たまに見る束髪は、東京の女の、想像以外のものである。
 暗い、きたない、ごみごみした家に沢山の大小の肉塊《にくかい》がころがって居るのである。
 実際、肉塊が生きて居て地主のために労働して居ると云うばかりで、智的には、何の存在もみとめられて居ないのである。
 けれ共此村には、彼等農民の上に立って居ると云っても良い半農民的な生活をして居る或る一っかたまりの人達が居る。
 それは、村役場と小学校と、めずらしくも、この村にある中学校に関係ある人達の群で有る。その他、神官と、僧侶と、この村の開墾当時から移り住んで居た、牛乳屋の家族、などは、実際の村のすべての事を処理して行く上には実力が有った。
 こんな人達の勢力は、実に「井の中の蛙」と云うのに適当なものである。
 中学校がこんな村にある! 一寸妙な気のする事だけれ共、それは県庁が、比較的景色の好い精神的と肉体的とを兼ねたこの健康地を選《え》らんだと云うばかりだけれ共、その生徒の中から此村に落される金ばかりは割合に労働なくて得られる金の唯一なものであった。遠い村に家のある生徒は、半農民の小ざっぱりした家へ下宿し、そのために二軒の下宿屋さえ有るのである。夏季講習が折々この村の中学で行われる時は、村中が急に、さざめき渡るのである。
 それだから、彼等にとって生徒はまことに有難いものに写《うつ》るので「生徒さん」と云う名をつけて必[#「必」に「(ママ)」の注記]して呼びずてにする事はしなかった。
 源平団子と云う菓子屋はいつもこの「生徒さん」達ににぎわされ、その少しさきにある、料理屋兼旅人宿は、花見時、競馬時でなけ
前へ 次へ
全55ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング