で位の日は大変早く、目まぐるしいほどで立って行くけれ共、此処の一日は、時間にのび縮みはない筈ながら、ゆるゆると立って行く。
 東京の急がしい渦が巻き来まれて、暇だとは云いながら一足門の外へ出れば、体中の神経に、はげしい刺激を受けなれて居るので、あんまり静かにのびやかに暮して居ると、日一日と体中の機関が鈍って行く様に思われる。実際鈍って行くのかもしれない。道を歩いても、ポツリポツリとほか人に会わなかったり、たまにガラガラ人力がすれ違う位では、のびやかだと云うのも一月位で、あとは、物足りない、何となく隙のある様な感じを与えられる。眠ったまま正月もたって行く。羽子を突く音もしなければ、凧のうなりもきこえない。子供達は、何と云う名なのか知らないけれ共、地面に幾つも幾つも条《すじ》を引いて、その条から条へと小石を爪先で蹴って行く遊びを主にして居る。首に毛糸で編んだ赤や紫の頸巻の様なものを巻きつけて懐手をして、青っぱなを啜り上げ啜りあげ、かさかさな顔をして広い往還の中央にかたまって居る。犬同志をけしかけてけんかをさせたり、猫に悪戯をしかけたりして居る。
 女の子は、一本三四銭位の花かんざしをさして、やっぱり頸巻をまきつけて、菓子屋の店先だの家の角《かど》などに三人四人とかたまって、何か話したり、砂利を入れた木綿の「石なご」(お手玉)をしたり、石のおはじきをしたりして居る。木綿の着物にメリンスのお立てなんかにして居るので、妙に釣合が悪くて見っともない。
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「きいちゃんの帯いいんだない。どこさから買ったのけえ。
「これけえ、
 伊勢屋げからよ。
 お蚕様の時、偉《えれ》え働いたちゅうて買《こ》うて呉れたのし。
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 この地方特有の妙に、しり上りの口調で話してなんか居る。
 こう云う処に居ると、私と似寄りの年頃の話し相手はまるで出来ない。言葉の違う故《せい》か、きまりを悪がって、どんなに私が打ちとけても口一つきかないのである。それにまた、この村には割合に、娘や若い男の子が少い様に見える。中学校に来るものは大抵他処のものなので、学校の休中は大変に静かになって居る。私が話しかけて快く返事をしてくれるものは大方、年とったものか、女房になったものでなければない。此処いらの一体の子供が、はにかみやのくせに悪口をつくから、何だか私にいい感じを与えない。
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