まり、日本の専政権力に反対するプロレタリアは、世界の国々の反ファシズム運動と結合しようとした。日本プロレタリア文化連盟の結成もこの角度から重要な意味をもった。作家同盟も団体加入した。各参加団体の中に組織されていた各委員会が協議会を持ち、婦人協議会の責任者となった。日本プロレタリア文化連盟からは、参加団体それぞれの機関紙の他に、「プロレタリア文化」が発刊された。この月党の組織と結合した。
十一月。婦人協議会から勤労婦人のための雑誌刊行が計画された。勤労階級の婦人のための雑誌としては、これまで『戦旗』があり『婦人戦旗』が発刊されはじめていたが、それをやめて『働く婦人』が発刊されることになった。これは婦人協議会から編輯部を構成して各団体が独特な能力で編輯に協力してゆくやり方であった。この『働く婦人』の編輯責任者となった。作家が雑誌の編輯事務にたずさわるということは、当時の私として苦痛なことであった。けれども階級的な作家の一つの経験であると思って翌年一月の創刊号から三月号まで編輯した。それ以後は佐多稲子が責任者となった。即ち四月に私が検挙されたことが責任者の交替をもたらしたのであった。この年は
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