盟では、農民文学に対する委員会、児童文学に対する委員会、青年の文学的創造力を指導するための委員会、朝鮮、台湾等の植民地の文学を、それぞれの民族文化との関係に於ける独自的発達を支持するための委員会が組織された。私はこの婦人委員会の責任者となった。
これらの委員会が組織されたことはプロレタリア文学運動が日本文学の歴史の中ではじめて労働者とともに、婦人、児童、農民、植民地の人々等の文化上の存在権を確認した出来ごとであった。私はこれらの委員会の重要な本質を理解することができた。しかし、婦人委員会の活動を広汎に活溌に具体的に指導してゆくことは、私の当時の経験では困難なことであった。しかし婦人委員会ができてから小説、詩の分野で若い作家詩人がいくつかの仕事を発表するようになった。『女人芸術』その他協同主催の文芸講演会などでは、特に婦人委員会の社会的文学的意味が理解され、文学を愛する婦人のための激励となった。
十月。「全日本無産者芸術団体協議会」は芸術団体の他に科学者、哲学者、教育者、社会医学関係の団体をも包括する「日本プロレタリア文化連盟」となった。満州事変と云われた日本帝国主義の満州侵略戦争がはじ
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