た。或るものはついたが或るものはつかなかった。
初夏、クリミヤ及びドン地方の大国営農場「ギガント」へ見学旅行した。
湯浅は日本へ帰ることになり、自分はどうしようか迷った。遂に帰ることにきめた。
十月二十五日モスクワを立ち、十一月〔八〕日東京着。
十二月〔中旬〕、全日本無産者芸術団体協議会作家同盟に加盟した。
平凡社から『宇野千代集』と合冊で『中條百合子集』が出版された。
[#ここで字下げ終わり]
一九三一年(昭和六年)
[#ここから1字下げ]
「三月八日は女の日だ」(改造)「スモーリヌイに翻る赤旗」(大阪毎日)「ソヴェト五ヵ年計画と芸術」(ナップ)その他ソヴェトに関する印象、紹介などを書く。又三月には田村俊子、野上彌生子と合冊で『中條百合子集』が改造社から出版された。
一月。作家同盟中央委員になり、〔七月〕常任中央委員になった。
九月。プロレタリア文学運動では、日本の半封建的な社会事情によって婦人の社会上、文化上の重荷が非常に多く文学上の成長もはばまれている。この状態を特別考慮して婦人の、特に働く婦人、農村における婦人の文学的成長を助ける意味で「婦人委員会」が組織された。同時に作家同
前へ
次へ
全40ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング