も憎むなという文句があった。
彼の予期しなかった死=没落と日夜目撃してその中に生きるソヴェトの燃えつつ前進する新社会相は、両面から自分の眼を開いた。ひとりで闘ってきた闘いを結びつけて行くべき方向と形と意味が理解された。政治的行動に、これまでと全く違う見方を得た。芸術家として自分はどこまでも現社会制度との非妥協性をすてない。憎む心をすてない――と。
この秋、洋々たるヴォルガ河を下り、湯浅とコーカサス、バクー油田、ドン・バス炭坑見学をした。
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一九二九年(昭和四年)
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正月から四月いっぱい、猛烈な胆嚢炎でモスクワ〔大学〕第一附属病院に入院した。
五月から十一月末までベルリン、ウィーン、パリ、ロンドンなどを見物した。ヨーロッパの資本主義国の文化の過去と現在の老朽はおどろくべきものだった。本当は、医者にチェッコのカルルスバード鉱泉へ行けと言われたのだが金がなかった。
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一九三〇年(昭和五年)
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二月「ロンドン印象記」(改造)。秋「子供・子供・子供のモスクワ」(改造)を送る。
『戦旗』に二三原稿を送っ
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