た。日本にはじめて共産党の機関紙が合法的に出版された。代々木に党本部の事務所がもたれた。私も入党した。
十二月、この本部の二階広間の畳の上で、合法的第一回、実質的には第四回大会がもたれた。五百余名の人々が集った。この大会は二年後の一九四〔七〕年第六回大会がもたれたとき、凡そ十万近い党員を代表する数百名の代議員の出席している光景を予想できなかったほど、小規模なものであった。しかし、長年の弾圧と辛苦の果に集ったそれらの人々の雰囲気には感銘ふかい歓喜と新しい勇気とがみちていた。
日本の勤労階級は公然と自身の政党をもつようになった。勤労者の文化的創造性も、自身の組織がもてるようになった。新しい民主主義の立場に立って日本民主主義文化連盟が各種の民主主義文化団体の協議組織として出発した。民主主義文学の団体として新日本文学会が組織された。
十二月、宮本と松江市、米子市、大阪、山口市等の講演旅行に行った。
十二月に新しい日本の民主的文学へのよびかけとして「歌声よおこれ」を新日本文学創刊号のために書いた。近代文学のために「よもの眺め」を書いた。主としてジュール・ロマンの「ヨーロッパの七つの謎」の書評であ
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