北フランスでどんどんと追いはらわれてゆくナチス軍の敗退の足どりがしるされた。レニングラードの市民の英雄的な闘い、遂に陥落しなかったモスクワ。ひとつひとつの民主的人民の勝利の前進が日本の狂気のようなファシズム下の生活の中へもひびきわたってきた。
日本では本土決戦というようなことがいわれはじめた。
網走へ行って住もうと思って、七月私は福島県の弟の家族の疎開先まで行った。その時はもう津軽海峡の連絡船が動かなかった。
八月六日広島に、九日長崎に原子爆弾がおちた。広島に応召中だった宮本の弟達治が負傷し、死んだが死体はみつからなかった。八月十五日の正午、天皇はラジオで日本の無条件降伏を宣言した。ポツダム宣言は受諾された。急速な武装解除が行われた。九月〔二〕日にミズリー艦上で降伏文書調印が行われた。
十月四日、連合軍総司令部の指令によって、治安維持法の撤廃、政治犯人の釈放、言論、出版、集会の自由が命令された。
十月十〔四〕日、宮本が網走刑務所から解放されて東京へ帰ってきた。府中刑務所の予防拘禁から解放された徳田球一その他の同志たちの間に活動が開始された。『アカハタ』第一号がパンフレットの形で発刊され
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