ンス敗れたり』が日本でひろく読まれたのは、これから間もない頃であった。この本は政界裏のぞき的なサロンゴシップで真にフランスの悲劇と人民の反ファシズム闘争を反映したものではなかった。
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一九四五年(昭和二十年)
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一月三十日東京に本式の空襲がはじまった。それから〔五〕月まで私の住んでいた本郷区の各所が連続的に破壊され、〔四〕月には巣鴨拘置所だけを残して周辺が焼野原となった。その空襲の翌朝、同居していた人に頼んで拘置所を見に行って貰い、それだけが残ったことを知った。治安維持法被告の非転向者は空襲がはじまると何時も監房の戸をかたく外から錠をかけられた。他の被告の監房の鎖ははずされた。私は宮本が「爆死」しなかったことをよろこんだ。〔五〕月初旬に大審院上告が却下された。無期徒刑囚として宮本は網走刑務所に移された。
この空襲と宮本の網走行の異常な伴奏として五月二日のベルリン陥落、つづいてドイツ無条件降伏が伝えられた。日本のどんなに多くの人間がその頃胸をとどろかせて朝々の新聞を拡げたろう。新聞には地図入りでベルリンに迫るソ連軍と連合軍の進路が示された。
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