所長に会って、執筆禁止の不当なことと、生活権を奪ったことについての異議を申したてた。当時は、一般ジャーナリズム、文化人がまだこのような言論抑圧に対して、その不当を表明するだけの気持をもっていた。各方面から内務省の態度が非難された。保護観察所は文筆関係者と内務省検閲課の役人とを招いて、懇談会を開いた。これは直接にはどれだけ効果があったことか分らない。何故なら保護観察所へよばれた人々は殆どいつも唖になった。何か一言云えばそれを「観察」されて、思想的点をつけられるからみんな馬鹿のようになって、互の顔ばかりみている。この時も発言したものは直接関係者だけであった。この年六月宮本の父が亡くなった。作品を発表されなくなったことは、私の経済的安定を失わせたし、精神的にも打撃であった。私は落ちつかなく毎日を送った。夏頃、健康が悪くなって寝汗をかき、微熱を出した。獄中で結核にかかり、一時重患におち入ったことのある宮本は、私の健康回復法としてきびしい規律的生活のプログラムを与えた。そのプログラムには、夜十時就寝、一日三回の検温、正しい食事、毎日午前中に巣鴨拘置所へ面会にくること、などが含まれていた。これを三
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