ヵ月ほど実行している中に、微熱は出なくなった。十二月に盲腸炎を起し、慶大病院で手術した。
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一九三九年(昭和十四年)
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三月。〔一〕昨年末の作品発表禁止がとけそうな気配があるといって文芸春秋が小説を依頼した。丁度宮本の弟が中国に出征させられたときであった。私は「その年」という小説を書いた。文芸春秋社で内閲に出した。そしたら各行毎に赤線が引かれて戻ってきた。線のひかれないところは「である筈だのに」とか「そうしている中に」とかいう文章でこれは纏まった言葉とも云えない。編輯者も私も苦笑してその原稿を保留した。六月頃、文芸春秋に「からたち」随筆四、五枚を書いた。これは発表された。七月中央公論に、三宅花圃と一葉とのことを書いた随筆を書いた。それも発表された。こうして理由なしに禁止された作品発表は、まだはっきりしたわけが分らぬ中にそろそろ印刷されはじめた。私は書ける間に出来るだけ書くという心持をもった。小説「杉垣」(中央公論)、「藪の鶯」、「清風徐ろに吹来つて」、「短い翼」等明治から現代までの日本文学の動きと婦人作家の生きてきた道を追求する仕事を文芸
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