が発行された。
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一九三八年(昭和十三年)
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この年一月から翌年の四、五月ぐらいまで作品の発表が不可能になった。戦争がすすむにつれて出版物の検閲は、ますますひどくなって編輯者たちは何を標準に発禁をさけてよいか分らなかった。それほど日本における言論の抑圧は急テンポに進行していた。内務省警保局で検閲をしていた。その役人とジャーナリストたちとの定期会見の席で、あるジャーナリストから編輯上の判断に困るから内務省として執筆を希望しない作家、評論家を指名してくれといったために、当局としては個人指名までを考えてはいなかったのに、数名の人の生活権をおびやかすような結果になった。これは内務省の検閲課の役人が中野重治と私が事情を聞きに行ったときに答えた言葉であった。この時、実質上の執筆禁止をうけた人は、作家では中野重治、宮本百合子、評論家では六、七人の人があった。内務省では、すぐ手紙をよこして自分の立場を釈明してきた人々があり、その人に対しては早速適当な処置をとると云った。中野と私とは、そういう方法はとらないことにした。そして私は私の監視者である保護観察所の
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