夜」(中央公論)
十二月帰朝。
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一九二〔〇〕年(大正〔九〕年)
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この年から足かけ四年ばかりは泥沼時代だった。小市民的な排他的な両親の家庭から脱出したつもりで四辺を見まわしたら、自分と対手とのおちこんでいるのは、やっぱりケチな、狭い、人間的燃焼の不足な家庭の中だった。
檻の野獣のように苦しんだ。対手をも苦しめた。対手は十五年アメリカで苦労したあげく、休みたがっていた。僅かに「黄昏」「古き小画」などを書いた。
確か大正十一年の夏と思う。山川菊栄などが実際の発起者で、与謝野晶子、埴原久和代、其の他多勢とロシヤ飢饉救済会の仕事をした。
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一九二三年(大正十二年)
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関東大震災の被害は直接は受けなかった。
三宅やす子の『ウーマンカレント』を中心とし小規模の救援事業をした。
野上彌生子とこれらの数年間に知る。
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一九二四年(大正十三年)
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春ごろから少し書くことができるようになった。「心の河」「イタリアの古陶」等。
湯浅芳子を知る。
夏、離婚した。長篇「伸子」の第一部「聴き分けられぬ跫音」を書き、『改造』へのせた。
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一九二五年(大正十四年)
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「伸子」を三、四度にくぎって『改造』へ連載。他に「吠える」「長崎紀行」「白い翼」などを書いた。
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一九二六年(昭和元年)
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「伸子」完結。「一太と母」(女性)「未開な風景」(婦人公論)等。
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一九二七年(昭和二年)
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「伸子」を単行本にする為に手入れをしながら「高台寺」(新潮)「帆」(文芸春秋)「白い蚊帳」(〔中央公論〕)「街」(女性)「一本の花」(改造)等を書く。
十二月初旬、湯浅芳子と共にソヴェト・ロシアへ出発した。十二月十五日モスクワに着く。
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一九二八年(昭和三年)
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単行本『伸子』が改造社から出版された。春「モスクワの印象」(改造)。秋「赤い貨車」(改造)をモスクワから送った。
この夏、八月一日、故国で次弟英男(二十一歳)が自殺した。彼が姉にあてて書いたまま出さなかった最後の手紙に、何ものを
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