かしやがて、文学の最後の小石のような真実も戦争強行の波におされて婦人作家も南や北へ侵略の波とともに動くようになった。
    執筆
三月。その年。(小説)
九月。杉垣。(小説)この初冬。(〔随筆〕)
まちがい。(〔随筆〕)
十一月。芭蕉について。(作家論)
十二月。おもかげ。(小説)ひろば。(小説)
単行本。明日への精神。(実業之日本社)三月の第四日曜。(金星〔堂〕)
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一九四〇年(昭和十五年)
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この年の日本の国内にどれほど軍事的な窒息的な空気がはびこっていたかということは、この年〔十〕月に書いた小説「朝の風」をよむとしみじみわかる。人間の理性と自然な情感に立った日常生活が失われてきたと同時に、文学はいよいよ人間性を失った。すべての文学は戦争鼓吹の文学でなければならなかったが、戦争そのものが非人間的な本質だったから従軍作家の誰の書くものもそれぞれの作家の文学的力量を生かしきらず、その人びとの人間の味さえも殺した。私小説にゆきづまり、日本文学の社会性のせまさ、弱さに、自繩自縛されたいわゆる純文学者たちは、戦争という大事件とそのヒロイズムによって、貧弱な文学の基ばんを拡げ新しくすることができるだろうと自分たちに期待したことは、幻想にすぎないことが証明されつつあった。一九三八年〔三〕月に石川達三が中央公論に発表して禁止された「生きている兵隊」という小説はそのテーマが戦争の野ばん性に圧倒されてしまう人間性を描いていた。そのような作品さえもそこに人間性の諸問題が残っているという意味で情報局は禁止した。これは日本の全人民が、「考える」能力を持つ者であることを情報局と軍部が否定した意味であった。
ヨーロッパではドイツファシズムの侵略が大規模に展開しつつあった。前年九月ワルソーに突入したナチス軍は四〇年の春ノルウェーに進出し、五月マジノ線を突破して一ヵ月の後フランスを降伏させていた。第二次ヨーロッパ大戦は次第にクライマックスに向いはじめた。日本の天皇制権力とその軍閥は目前のドイツファシズムの勝利に誘惑されて野心を夢みはじめた。
    執筆
一月。朝の風。(小説)生活者としての成長。(評論)
三月。昔の火事。(小説)
五月。夜の若葉。(小説)
十月。若き精神の成長を描く文学。(評論)昭和の十四年間。(日本評論、日本文学入門へ)
十一
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