希望。(社会時評)
一月。村からの娘。(社会時評)
四月。新しい一夫一婦。
五月。乳房。(中央公論)
九月。小説「突堤」(これは淀橋署に拘留中に書いた。)その他。
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一九三六年(昭和十一年)
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一月。市ヶ谷刑務所から東京地方裁判所に通って予審がはじまった。
一月三十日、父の急死によって葬儀のために仮出獄した。
二月。二月二十六日事件を裁判所で知った。小使がつい、予審判事に戒厳令という言葉を言ったために。
三月。下旬、予審終結。ひどく健康を害していたために市ヶ谷からじかに慶応大学病院に入院した。
六月。公判、懲役〔二〕年、執行猶予〔四〕年を言い渡された。予審と公判とを通じて私は文学の階級性を主張することができなかった。
七月。保護観察所によって保護観察に附せられた。警視庁の特高課長であった毛利基が主事をしていた。毛利基は宮本の関係した党内スパイ摘発事件のとき、スパイを潜入させその活動を指導するための主役の一人であった。
はじめて保護観察所によばれたとき、この毛利が鉈豆煙管をさげて出てきて、「どうだね、悪いことをしたと思うかね。」と言った。そのときの感情は生涯忘れないだろう。
八月。マクシム・ゴーリキイの伝記を書きはじめた。熱中して三分の一ほど書いたが、健康がつづかず中断した。
一九三二年から四年間、たびたびものの書けない状態におかれたことは、私に啓蒙的な文筆活動を文学的にたかめてゆく機会となった。書けない間、自分の書いたもの人の書いたもの、文学というものなどについて自然、深く考えるようになったから。――集中して仕事をするために弟の家族と生活することの不自然を感じて、十二月下旬、目白に引越すことにした。
    執筆
五月。わが父。
七月。芸術が必要とする科学。
マクシム・ゴーリキイの発展の特質。(文芸評論)、逝けるゴーリキイ。(文芸評論)、ゴーリキイの描く婦人。(文芸評論)
九月。作品のテーマと人生のテーマ。(文芸評論)
十月の文芸時評
十月。「或る女」についてのノート。(文芸評論)
十一月。自然描写における社会性。(文芸時評)、暮の街(社会時評)
十二月。未開の花。(社会時評)、含蓄ある歳月。(作家論)
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一九三七年(昭和十二年)
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この年七月、蘆溝橋事件を挑発のモメント
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