平にかまわず、坂口の爺さんは次の間へ来て、坐蒲団をさがしもせず縁のない畳の上へじかに坐った。そして、懐から畳んだ手拭を出し、その手拭の間から一枚の印刷したケイ紙をとり出して畳の上にひろげた。その紙の上に、つくばうような恰好で坂口の爺さんはかがみかかった。永年の農家仕事で、指の先の平たく大きくなっている右手には短い一本の鉛筆がある。
 ラジオはすぐ「経済市況を申しあげます」と、歯切れのいいような、追い立てられるような口調で云い出した。
「新東百五十三円丁度、ふた十銭やす。親鐘ふた百八十五円丁度。高値五円とお銭。新鐘ふた百七十円八十銭、ふた十銭やす」
 坂口の爺さんのめくら縞木綿の羽織の背中はそのうち出すような早口と一緒に畳の上へかがみかかった。我知らず鉛筆を口の隅へあてがってそれを舐め舐め待ちかまえていて「親船八十八円ふた十銭」という声がかかるや否や、紙に細かく印刷されているその呼名の下にローマ数字を書き込むのである。先の太い、唾でふやけた鉛筆で小さい罫《けい》の間に書き馴れない西洋式の数字をはめて行くのであるから、絶間なく、弾むような調子で次から次へ流れる株の高低を、坂口の爺さんのスピ
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