ルで、飯茶碗を片っ方にもったまま、箸をもっている手で汁碗を逆手にもったりして、余念なく食べている。
 やがてお縫が後片づけに土間へ下り、兄弟は中の間へ行って父親の両側にねまった。正一は父親の掛布団をひっぱって自分の腹へもかけるようにして右っ側へ。直二も湯から上って来ると、力仕事で急に大人びた体に合わしては少年ぽい絣が荒すぎる長着姿で、左っ側へ。一日の疲労と満腹とで若い兄弟はどちらものうのうと体をのばし、夢と現の境である。
 庄平にとっては、今というときがあるからこそ単調な一日をどうやらしのいで来ている。血気の旺《さかん》な稼ぎ手の息子らに左右から押しつけられ、温泉にでもつかったようにじっと仰向いておとなしくしていたが、暫くすると、庄平は萎びた指で、
「アレ」
と弱々しく云って自分の頭の上の方を指した。
「なんで」
 寝ころがったまま正一が頭をあげてその方角を見たが格別新しく目につくものがない。するとあっち側の直二が片膝ついて起き上って、父親の顔の上に自分の顔を押しつけるようにしながらきいた。
「なんで、お父はん、アレちゃ、なんで?」
「アレ」
「ラジオか――ラジオどすか」
 当年仔《とねこ》でも起き上るときのように手足を一緒くたにドタドタと直二が起きて行って、兄のすぐ頭の上にあるラジオをまわした。洋楽につれて、顫えを帯びたソプラノの独唱が聞え出した。ふた声みこえそれをきくと正一が、
「ギャーか!」
と気むずかしそうに云った。
「ほか出して見い」
 直二は兄に云われるとおり手当りばったり針をまわした。いきなり賑やかな三味線がとびこんで来て、八木節に似た唄が入った。それには誰も何とも云わない。直二は父親をまたぎ越すようにして蒲団の元の場所へ行き、そこへ又ころがった。
 ジャカジャン、ジャンジャンという三味線の響は、お縫の洗いものをしている土間から暗い村の夜の中へまで響きわたって行く。主題歌なんかは時々自分でもうたう正一が、ラジオの洋楽というと消すのはどういうのであろう。一つしか年のちがわない素朴な直二は、お縫から見ると子供っぽく思えるし、さりとて、三つ上の正一の気持には、男のせいかお縫には分らない節々があった。意味はわからなくてもヴァイオリンや笛の音が、美しいメロディーで流れるのをきいていると、時には眠くなりもするが、概してお縫はいい心持がした。そういう洋楽の音は、お縫のまだ知らない東京の生活や一年に一二度映画で見る外国の街での若い人々の生活や、少くともここのまわりの毎日とはちがった華やかで甘美な気分への憧れ心を刺戟した。お縫は東京暮しをすることが自分の生涯にあろうと思っていなかった。まして外国なんか。だから一層そういう憧れ心はお縫にとってただ心持よいだけのものとして感じられるのである。――今夜は茶わんを洗いながら、やかましい三味線をきいていて不図これまで思いもしなかった或ことに気がついて、お縫はひそかに正一にすまないように感じた。何故なら親たちと一緒に正一が洋楽を好かないのを、お縫はずっと只頑固なのかと思ってもいたし、少し意地わるく、若しかしたらわざと猫をかぶっているのかしらとも思わないでもなかった。兵隊に行っていて、その二年間は都会の空気の中で暮して来た正一が、ジャズなんか好きになってかえったとしれると、その間に小遣いなんか送らせた理由も勘づかれ、面倒になるから跋《ばつ》を合わせているのかと思った。けれど、もし正一の洋楽をきらう心持が別のことからだったらどうであろう。洋楽をきくと自分と同じに心持を動かされ、しかも、少しはこういう辺鄙な村にはない生活の断片をも知っている正一が、現在ここにありもしないものになまじっか心をひかれるのが厭で、ジャズなんかききたがらないのだったとしたら――。
 おさやが茶がわりに飲むハブ茶を七輪のおきにかけながら、お縫は、はっきりと一つの笑い顔を思い出した。それは正一が除隊になってかえって来て、組合が祝の酒盛をした時のことであった。重蔵なども先に立って、お縫の耳にきき苦しいような冗談を云っては正一の嫁とり話が出た。正一はうすら赧い顔をして笑っていたが、それは決してうれしい笑いでも、極りがわるいだけの笑いでもなかった。そして、しまいには、何かに楯ついているようにむっと、
「もうええ、もうええ、わしは二十六まで嫁はとらん!」
と云った。庄平の家の負債のことは村じゅうが知っていた。この家の下の土地が自分のものでないことも分っている。正一が中学を中途迄しか行けなかったこともしれている。正一がトラックを運転している姿を見るとき村の人々はそのことを思い出したとしても、感心な、と云うであろう。だが、あなたの娘をやりなされと云われれば、それらのことは、全く別様の条件となって思い出されて来るのである。
 お縫の姉のおたみ
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