は、遠縁をたどって神戸の方へ見習いに出ている。そこにも、自分の幸福をさがし求めている娘の心持がある。
 五燭の電燈で仕舞風呂に入っているお縫の頭の中から、これらの考えは消えなかった。
 レートクリームのかすかな匂いをさせてお縫が中の間に来たときは、おさやも加わって、一しきりうつらうつらの醒めた頃合であった。正一が、店のところで、煉炭火鉢の上へ跨りかかるような恰好をし、モジリを着た男と何かかけあっている。
「マアそう云わんと、ちょっとやっつかわせ。手伝《てご》うするもんはいるんじゃけに……」
「あすは、買い切りじゃがで……」
「一日二日はくり合わせますけ」
「さア――無理じゃと思うなあ……」
 押し問答の後、男はそこに置いていた自転車のライトをとりあげて出て行った。正一が、
「なんぼこまいかて、家一軒で四杯ちゅうことがあるけ」
と電燈の下へ戻って来た。
「なんで?」
「柳下の郵便局のおっさんが死によって、保坂へその家を引くんじゃそうな……二十四円で請合えと云いよるんじゃ」
「そりゃいけん」
 おさやが、坐り直すようにして首をふった。
「無理であります。柳下の家は見ちょりますが、こまうはありません」
 黙っていた直二が、その時突然大きい声でそう云った。
「おお、そうそう」
 思い出しておさやが、
「さっき組合から、米を出すちゅうて来よった。一俵三銭じゃ行くますまいと云うといたが――」
と云った。
「ガソリンがこう上っちゃ、運賃も上げにゃならんが、鉄道運賃が居据りじゃけに、きついなあ」
 おさやは、辛辣なところのある口調で、
「上田じゃ儲《もうか》りよって儲りよって困るじゃろ」
と笑った。上田は「日石」のこの地方唯一の特約店で、海軍工廠へも上田の店からでなければ重油が入らないのであった。
「おかあん、あした局へ行くで――」
「そいじゃ、見とかにゃ」
 箪笥の引出しをあけて、おさやは白木綿の包みやら、庄平の恩給証書を出した。ついでに、
「こりゃ、どんなもんじゃろ」
 一枚の株券を正一たちの前へ見せた。
「何であります?」
「坂口はんのや――警察に押えられてあったの、ようようかえして貰うたんじゃと、どういうもんか調べてくれと置いて行きよったんじゃが」
「これ、何で――その建鉄会社ちゅうの――」
「分らん」
 直二が、兄のわきから口を尖らしてのぞき込みながら、
「五拾円と書いてある」
と云った。
「坂口はん、知っとってじゃないんでありますか」
「知らんの」
「反古《ほご》とちがうのか?」
 正一が気味わるそうな指つきで、その一応は印刷になっている株券をつまみあげたので、皆が笑い出した。おさやは改めてそれを手に取って眺めた。
「本当に値うちのあるもんやったら、なんぼ警察やて、半年も放りこんでとりあげちゃ置きやすまい。株屋は、つかまりよったんか?」
「つかまっちゃおらん」
「今は憲兵隊になっちょります」
と直二が生真面目に持前の大声で云ったので、又、笑った。坂口の爺をひっかけて、初め二百円程儲けさせ、千円ばかり出させた株屋が、現金の代り、今取引しかかっているのだがあなたが是非今日と云うならばと、その建鉄株を現金に相当な額面だけよこして、翌日はその店から行方を晦《くら》ましてしまった。何か犯罪があるということで、坂口が渡された株券は証拠物件として半年も警察にとりあげられていたのであった。
 正一が、
「うっかりすると、坂口はん首つらんならんようになる」
と云った。
「夕方、下屯田をひょっこひょっこ歩きよった」
「茂一の店へゆきよってのじゃろ」
 真偽の知れない株券はそれなり又箪笥へしまいこまれた。
「箱をかえにゃいけんなあ」
 ひとりごとのように云いながら、おさやが隅のつぶれた「朝日」のボール箱を引出しからとり出してふたをあけ、ちょっとなかを調べて埃を吹いた。
「なんで」
「お父はんの勲章や」
 お縫が、
「あら、うち、見たこと一ぺんもないわ」
と云った。
「軍隊手帳も入っちょりますか」
「入っちょる」
「どれ」
 金鵄勲章という名だけはきいていて、お縫は現在目の前のボール箱の中に入れられている品とは何かしら見かけも全く別なものを想像していた。こういうものにも沢山の種類があるのであろう。その箱の中に、庄平が達者だった時分の写真が偶然一枚混りこんでいた。黒紋付を着て、その勲章のほかに二つ並べて胸に下げている。写真にうつっている方が、却って本物らしく見られるのであった。
 皆、暫くは何も云わずに勲章を眺めていた。やがておさやは黙ったまま、元どおりボール箱の蓋をして、株券と同じところにそれをしまい込んだ。



底本:「宮本百合子全集 第五巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷
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