っちりとした気もがっちりとした地主の爺さんと、肩のすぼけた、気もすぼけた地主の爺さんとは、両方とも譲らず、その執拗さで却って二人ながらに迫っている老耄《ろうもう》を思わせるばかりに株がいい、土地がいいと諍っている。きいているおさやの家には土地もなければ、株もない。
 三時の市況をラジオできいてから、やっと坂口は店先から出て行った。
 おさやが、
「――どうどす、この頃は――嫁はんやっぱり卵もって来はりますか?」
と、笑いながら訊いた。
「来よります」
 白い瀬戸ものの歯の上で唇をすぼめるような恰好にして重蔵が答えた。
「せんぐり持って来よる。それにおとといから待遇がぐんと違って来た。風呂がわくと、先ず、お父はん、お入りませと云うて来るようになりよった、ハハハハハハ」
 その笑いかたには、隣りの座敷にいるお縫が思わず注意をひかれたほど棘々《とげとげ》しさがあった。
 重蔵には実の子がなくて、夫婦養子をしてある。年より夫婦は経済をきちんと分けて暮しているのであったが、或る日嫁がうちの鶏の生んだ卵を重蔵のところへもって来た。うちで生んだ卵でも、いくつと数えたうえ金を出して買うことにしてある。重蔵は、これまでどおり一箇二銭五厘あての勘定で銭を嫁に渡した。笊《ざる》をもって縁先に立っていた嫁は、その銭をうけとりながら、よそではこの頃卵一つが二銭八厘する、と云った。その言葉が重蔵の疳にさわった。もういらん、ということになった。嫁が途方にくれて泣き出し、養子が間に入ってあやまって、一つ二銭五厘で又元どおり卵をとるというところに落着したのであった。
「旗を出す竿が、これまでのは短うてせむなというて、竹林に兼吉が近所のもんと連《つろ》うて行きよった。そしたら、その人がびっくりして、これははや初めて来て見たが愈々《いよいよ》見事なものじゃ、一の森じゅうにこれ程のものはない、これだけのこして貰うただけでも大した金目や、と云うたげな。それで、少々考えが違うてきよったふうじゃ」
 ハハハハと重蔵は再びお縫の耳をひく笑いかたで高く笑った。おさやは、落付いた慰さめをこめた口調で何か云っている。けれども、十八のお縫は、重蔵の心に鬼が住んでいると思った。養子夫婦と自分たち年寄との毎日毎晩の些細なことを、一つ一つ金に換算して、あの親切はなんぼ分、この丁寧もあすこからと、銭に引きあてて見せる鬼が重蔵の心に巣をくっている。その鬼は重蔵を決して安心させないだろう。幸福にもさせないだろう。何万あるのか知らないが、そのためばかりに、重蔵は自分の一番近い筈のものへ自分の心の一番冷たい憎悪と打算とを向けているのである。そう思って、負けずぎらいな重蔵が瀬戸ものの歯の間から響かせる高笑いを聞いているだけでもお縫は胸苦しいような気がした。年頃のお縫には、こういう家庭の紛糾もまんざらよその話とばかりは聞けなかった。いつか自分の身の上にもはじまらなければならない嫁|舅姑《しゅうと》の田舎らしくせまい日常の底にかくされているうすら気味わるいものの影が計らずもそこに見えがくれしているようで、遠いようで近いような現実的な圧迫を感じさせられるのであった。
 お縫は、やがて下駄を突かけて、ゆうべの浅蜊の殼をもって裏へまわった。古い無花果《いちじく》の木の下に手造りの鶏小舎がある。お縫はトウトトとよびながら、先ず玉蜀黍《とうもろこし》の実をまいてやり、どこかへ運ぶ塩俵のつんであるねこぐるまの置いてあるわきの丸っこ石の上で貝殼を叩き砕いては、小舎の中へなげた。
 裏から見ると、庄平の店と住居とは、麦畑と表の往来との間に、まるで切り出しの刃のように片そげになった狭い地べたの上に随分無理をして建て並べられている。片側は往来のすぐ裏がもう線路で、やっと一側の家が並んでいるだけだし、その向い側はすぐ畑や田圃につづく松山にさえぎられて、村全体が奥ゆきない埃っぽいかまえであった。何年か昔、ここへステーションが出来るというので、何か一つ新しいたつきをと求めて集った家々である。
 村じゅうがひっそり閑として夕方近い西日に照らされているこういうひととき、停車場で汽車の汽笛が一声鳴ると、その音は西日のすきとおる明るさのなかに谺《こだま》して、あっちからこっちの山へとまわって響いた。それは変に淋しかった。つづいてギギーと貨車か何かが軋る音がしてガチャンと接続のぶつかり合う音がしてまたあとはしーんとしてしまうようなとき、お縫は胸のなかをしぼられるように我家をなつかしく思った。
 お縫のうちの方は、こことはちがって、海辺に近い半農半漁の村暮しで、寺の山にのぼると、小笠島というめばる[#「めばる」に傍点]のよくとれる島のまわりからずーっと瀬戸内海が見渡せた。村の浜は風景が美しいので有名な海浜で、昔ながらの村落は、海辺をかこむ松
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