林のこちらから、背戸に枝もたわわに黄色くみのっている夏蜜柑の樹を茂らせて麦畑や田の間に散らばっている。田をつくるに水不足で、どこの農家でも井戸を掘りぬいて灌漑した。
この村から一里ばかり先に大きい湾に面した港町があって、鉄道がしけるまでは東北から出まわる北米《きたまい》は一旦すべてこの港に集められ、そこから九州や山陰へ回漕されている。庄平兄弟の母親は、そういう商売を大きくやっている回漕問屋の娘であった。そんな関係から、代々油屋だった国広屋が、米へ手を出すようになった。
ところが、この地方に汽車が開通すると一緒に、港はさびれ、従ってその港の活気でひき立てられていた村の暮しが年々深い眠りの中へとりのこされてゆくようになった。国広屋が落ちめになったのはこれも一つの理由であったが、庄平に云わせると、没落は又別の理由で早められたことになった。
明治時代には十年おきぐらいに日本として初めての大戦争や事変があって、庄平は、三十を越すまで三度戦に従軍した。兄貴が兵士ぐらしをしている間に、弟の順平は、おのずから家代々の鰭《ひれ》を一人の身につけて、金使いも覚え、汽車が開通したときは、米を運ぶより頻繁に白足袋をはいた順平が、半時間でゆける小都会の夜の明るさへ運搬されるようなことになった。その借財もある。そこへ大正七八年の大恐慌が最後の破綻を与えた。庄平はその時分、今順平のいる村の本家に商売していたのだったが、その破滅から国広屋を立て直そうと勢猛に、弟と入れかわって停車場の村へのり出した。
順平が選挙運動にかかわりあったり、土地の仲介をしたり、一定の職業のない村での旦那暮しをはじめたのはそれからのことである。順平に云わせれば、こんな眠った村で、することがないのであった。そういう順平を庄平は、働く堅気な心がないからだと判断した。そして、互に気ごころの喰いちがったまずい衝突が捲きおこされて、それには自然どちらの一家も家じゅうが影響されるのであったが、順平はそういうとき、ほっとした口元で華奢な指にはさんだ敷島の煙をふきながら、妻や息子娘たちを自分のまわりにあつめて云った。
「どだい、お母はんと兄貴とは十八のときからわしをどう扱った。宮の森に養子に行かせて、戻したと思えば、折角一旗あげようと大阪まで出ているところを、わいわい云うてもどしよる。そらどこへ使にゆけ、ここへゆけ。困ると、わしを呼んですきなほど使いよるって来て、一遍でもこちらの身を思うてじゃったか。いいかげん面白うなくなるは当り前じゃ」
お縫は、娘の感情で父親の述懐を忘れ得なかった。その忘れ得ない感情のままで、庄平のまるで反対の解釈から出る様々の仕うちを見ているというこみ入った伯父姪のいきさつにおかれているのであった。
海沿いの村の暖い春の日光は、ほしいままに繁っている雑草の中に、建ちぐされかかった三棟の大鶏舎をゆったりと永い日がな一日照していた。台所の裏の三和土《たたき》のところには、埃をかぶって大きな孵卵器が放りこんだままにある。こちらの村住居ときまったとき、順平は広い屋敷の地面から思いついてこの近隣では類のない大仕掛けの養鶏を思い立った。名古屋へ上の息子を講習にやったり、名古屋の方から専門家を招んだりして暫く最新式な養鶏に熱中したが、眠っている村では採算がとれなくて、しまいには雇い男がこっそり鶏を抱え出して飲んだくれたりする始末となってやめた。
順平の思惑は、いつも村に流れて来る時勢より三四年は先を行く塩梅になった。そのために大損をして兄庄平と大揉めしたバス会社の経営にしろ、順平がすっかり損をして信用も傷つけた揚句やめてから、僅か四五年あとにやりはじめた佐伯は、同じ事業で今では一財産をつくった。
屋敷は荒廃して、昔代々そこで油を搾っていた作業場は、元のところにがらんとした壁と屋根とをのこして建っている。別棟の二階には油製造につかった麻袋を織る機台が組立てられたまま蜘蛛の巣が張られている。いくらか織りかけの布が挾まれているままでもう何年そうやってうっちゃらかされているだろう。お縫は小さい時分から、それを見ながら雨の降る日はそのよこでままごと遊びをした覚えがある。
収拾のつかない破綻が落ちている倉の外壁や青草にまで滲み出ているようなのに、順平は、町から買って来る繻子足袋をはいて、そこだけはしっかりしている新建ちの座敷で、小さい急須から小さい茶碗にとろとろと茶を注いでのんでいた。そこから見える中庭だけは丹念に手入れされていて、苔は美しく日をうけて緑色であった。池に金魚が泳いでいた。厠に床の間がついていてそこに刷りものの松園の美人画と香炉とがおいてある。その新建ちの座敷の縁側には都会風な硝子戸が入っているが、床の間や欄間の壁は今に中塗りのままで何年かを経た。そこまでやりくりがきかな
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