ことを思った禰宜様宮田は、もう何をどう考えることも出来ないほどの混乱を感じた。
 体中で震えながら、冷汗を掻いている彼を見ながら、番頭は口の先でまだヘラヘラと喋り続けた。
「考えて御覧な。
 片方は何といっても海老屋の御隠居、片方は失礼ながらお前さん達。
 そうじゃあない違いますと云ったところで、世間様じゃあどっちがほんとだと思うんだね。
 誰が聞いたって、御隠居を疑ぐる訳にゃあいかない。政府のお役人様だって、お前さんと、御隠居じゃあちいっとの手心あ違おうともいうもんだ。
 だから、下らない意地は捨てる方が得、ね、ウンと承知すりゃあ、万事万端めでたしめでたしで納まろうってもんだ。
 え! 承知しなさい、その方が得だよ」
 激しい強迫観念に襲われて、あらゆる理性を失ってしまった禰宜様宮田は番頭の言葉を聞き分けることさえ出来ないようになった。
 まして、それ等のうちに含まれている弱点などを考えることなどは出来得ようもない。
 彼はただ恐ろしい。身にかかる疑いが恐ろしい。
 思想の断片が、気違いのように頭のうちじゅう走《か》けまわる……。
 大きな眼にうっすら涙を浮べて、口を開き暫く呆然とし
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