が、足の方から頭の方へと一目散に馳け上ったような心持がした。
そして、彼のいい顔の上には、しん底からの微笑と啜泣《すすりなき》が一緒くたになって現われた。
「はあ、真当《まっとう》なこった。
若けえもんあ死なさんにぇわ……なあ……」
今までただの一度でも感じたことのない歓喜と愛情が、彼の胸には焔のように燃え上って来た。
もうどうしていいか分らなくなってしまった彼は、傍の草の中に突伏して、拝みたくて堪らない心持になりながら子供のように泣吃逆《なきじゃく》ったのである。
そして、安心して気が緩んだので、いつかしら我ともなく心がポーッとなりそうになったとき、
「オイオイ禰宜様、何《あによ》うしてるだよ。
俺らあおめえん介抱《けえほう》まじゃあ請合わねえぞ」
と云いながら、誰かがひどく彼の肩を揺った。
スースーとちょっとずつ区切りをつけながら、蜘蛛《くも》が糸を下げるように、だんだんと真暗な底の知らないところへ体が落ちて行くように感じながら、どうしても自分で頭を擡《もた》げることの出来ないでいた禰宜様宮田は、このときハッと思うと同時に、急に自分の体が自由に軽くなったように感じた。
そろそろと起き上った彼は、仲間と一緒に若者をようよう近所の百姓屋まで運んで行った。
救われた若者は、町で有名な海老屋という呉服屋の息子で、当主の弟にあたる人であったのである。
名乗られると、急にどよめき立った者達は、ふだんは使わない取って置きのいい言葉で御機嫌をとろうとするので、大の男までときどき途方もないとんちんかんを並べながら、ワクワクして助けてくれた人は何という者だと訊かれると、
「ありゃおめえさ禰宜様宮田で、へ……
もうからきしはあ……」
などと、お世辞笑いばかりする。
今の場合、わざわざ拾って来られたところでどうしようもない魚籠《びく》だの釣竿だのを、一つ一つ若者の前へ並べたてながら、彼らは財布と銀時計――若者も内心ではどうなったろうと思っていた――をこっそり牒《ちょう[#ママ]》し合わせて、見付からないことにしてしまった。
「オイきっと黙ってろな、え?
ええけ、きっとだぞ!」
皆に拳固をさしつけられた禰宜様宮田は、部屋の隅の方でコソコソと身仕度をした。
そして、大切そうに皆に取り巻かれ、気分もよほどよくなったらしい面持ちをしながら、家からの迎えを待っている若者を眺めてから、愛《いつ》くしみに満ち充ちた心を持って、裏口から誰も気の付かないうちに、さっさと帰って行ってしまった。
二
今まで、何かにつけて禰宜様宮田は自分の心のうちに年中|飢《ひも》じがって、ピイピイ泣いては馳けずりまわっている瘠せっぽちな宿無し犬がいるような気持になりなりした。平常は半分まぎれて気がつかないでいても、何か少し辛いことや面白くないことが起って来ると、どこかの隅に寝ていた瘠せ犬がムックリと起き上る。そして、微かな足音を立てながら、悲しげに泣きながら、彼の体中を歩きまわる。
ソクソクソクソクという足元から、悲しい寂しい心持が湧き出して、禰宜様宮田の心も体も押し包んでしまうのである。
そして、ときには瘠せ犬が自分の心の持主なのか、または自分が、その瘠せ犬の主なのか、よく分らなくなってしまうほど、追い払っても、追い払っても、また戻って来るみじめな、瞬く間に自分の心を耄碌《もうろく》させてしまいそうな辛さが、彼の心を苦しめたのである。
けれども、有難いことには、昨日のあの瞬間から――彼が泣き伏しながら拝みたい心持になったときから――彼の魂は真当な休みどころを見つけた。
そこだけは、いつも明るく暖かく輝いている。
辛かったら来るがいい……
泣きたくなったら、泣きに来い……
彼は、今まで俺はもうもう不仕合わせなけだものだと思っていた自分の心を――あの瘠せ犬があんなにも引掻きまわす自分の心を――ちゃあんと、どなたかが見ていらっしゃって、こういう休みどころを下すったのじゃああるまいかということを大変思った。
そのどなたかは、世の中じゅうの真当なことの持ち主であらっしゃる……
禰宜様宮田は、広場へ筵《むしろ》を拡げて、※[#「木+(綏−糸)」、第3水準1−85−68、212−19]《たら》の根を乾かしながら、大変仕合わせな、へりくだった心持で考えていたのである。
南向きの広場中には、日がカアッとさして、桔槹《はねつるべ》の影は彼方の納屋の荒壁を斜に区切って消えている。
二十日ほど前に誕生した雛共が、一かたまりの茶黄色のフワフワになって、母親の足元にこびりつきながら、透き通るような声で、
チョチョチョチョチョ……
と絶間なく囀《さえず》るのを、親鳥の
クヮ……クウクウ……クヮ……
という愛情に満ちた鼻声が一緒になっ
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