て、晴れた空に響いて行く。
娘のまき[#「まき」に傍点]と、さだ[#「さだ」に傍点]に守りをされながら、六《ろく》の小さい裸足の足音は湿りけのある地面に吸いつくような調子で、今来て肩につかまったかと思うと、もうあっちへヨチヨチとかけて行く。
「ア、六。
そげえなとこさえぐでねえぞ。
血もんもが出来てああいていてになんぞ、な。
こっちゃて、ほうら見、とっとがまんま食ってんぞ、おうめえうめえてな……」
麦粉菓子の薄いような香いが、乾いて行く※[#「木+(綏−糸)」、第3水準1−85−68、213−15]の根から静かにあたりに漂っていた。
すると、昼過ぎになって、突然海老屋の番頭だという男が訪ねて来た。
昨日のお礼を云いたいから、店まで一緒に来てくれと云うのである。
いろいろ言葉に綾をつけながら、わざと早口に、ぞんざいな物云いをする番頭は、彼の妙にピカピカする黒足袋を珍らしがって※[#「奚+隹」、読みは「にわとり」、第3水準1−93−66、213−19]共が首を延すたんびに、さも気味悪そうに下駄をバタバタやっては追い立てる。
※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66、214−1]がはあおっかねえとは……
心の内でびっくりしながら、まき[#「まき」に傍点]やさだ[#「さだ」に傍点]は番頭が厭な顔をするのも平気で、真正面に突っ立ったまま、不遠慮にその顎のとがった顔を見守っている。
禰宜様宮田は行きたくなかった。
そんな立派な家へ、何も知らない自分が出かけて行くのは気も引けたし、何かやるやると云われるのにも当惑した。
「俺らほんにはあお使えいただいただけで、結構でござりやす……
何《なん》もそげえに……
そんに決して俺らの力ばっかじゃあござりましねえから……」
彼は下さる物は、自分のような貧乏人にとって不用《いら》ないはずはないことは知っている。
けれども……何だか品物などでお礼をされるには及ばないほどの満足が彼の心にはあったのである。
そして物なんか貰ってさも俺の手柄だぞという顔は、とうてい出来ない何かが彼の頭を去らなかった。
番頭に蹴飛ばされそうになる雛どもを、ソーッと彼方へやりながら、禰宜様は幾度も幾度も辞退した。
が、番頭はきかない。
とうとう喋りまかされた禰宜様宮田は、海老屋まで出かけることになった。
店の繁盛なことや、暮しのいいことなどを、しまいに唇の角から唾を飛ばせながら喋る番頭の傍について、在《ざい》の者のしきたり通り太い毛繻子の洋傘をかついだ禰宜様は、小股にポクポクとついて行ったのである。
海老屋では、家事を万事とりしきってしているという年寄り――五十四五になっている先代の未亡人――が会った。
金庫だの箪笥だのを、ズラリと嵌《は》め込みにした壁際に、帳面だの算盤だのをたくさん積み重ねた大机を引きつけて、男のような、といっても普通の男よりもっとバサバサした顔や声を持ったおばあさんが、ムンズという形容がおかしいほど適した形をして座っているのを見ると、あれでもおばあさんだそうなという感じが、一層禰宜様宮田の心をまごつかせた。
「はあ、お前さんが宮田とお云いか……」
丁寧に頭を下げた彼の挨拶に答えた、彼女の最初の、太いかすれた声を聞いた瞬間から、もうすっかり彼の心は、受身になってしまって、いつもの「俺」の逃げて行き方が、もっと早く、もっとひどく行われたのである。年寄りはあんな大男の息子を助けた男というだけで、もっとずーッと体も心もがっしりした元気な男を期待していたところへ現われた彼は、余りすべてにおいて思いがけない。
おばあさんは、何だか滑稽なような、お礼を云うのも馬鹿らしいような気持になってしまった。
そして、臆している彼の前にこの上ない優越感を抱きながら、お礼を云うのか命令しているのか、さほどの区別をつけられないような口調で息子の救われた感謝の意を述べた。
私のようなものが、お前にお礼を云うのさえ、ほんとなら有難すぎることなのだという口吻《こうふん》が、ありありと言葉の端々に現われているけれども、禰宜様宮田はちっとも不当な態度だと思わなかったのみならず、彼女がほのめかす通り、お礼などを云われるのはもったいないことだと思っていたのである。
お前さまは海老屋の御隠居であらっしゃる。そんにはあ俺あこげえな百姓づれだ。そこにもう絶対的な或るもの――禰宜様宮田にとってはこの上ない畏怖となって感じられた、両者の位置の懸隔――を認めることに、馴されきっているのである。
何を云われても、彼はただハイ、ハイとお辞儀ばかりをした。
一通り云うだけのことを云うと、年寄りはもったいぶった様子で、仰々しい金包みを出した。
麗々と水引までかかっている包みを見ながら、禰宜様宮田は、途方に暮れた
前へ
次へ
全19ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング