ら来るいろいろな刺戟は皆そこに溜って、しんまで滲み通らない。
 そして、そのどんよりしたものの奥には、大変深い寂しさにしっかりと包み込まれて、いかにもトロリとした露の雫のように、色という色もなければ、薫りという薫りもない、ただあるということだけの感じられるようなものが潜んでいる。
 折々彼の心と体とは、すっかりその透明な、トロリとしたものに吸いこまれてしまって、何も思わず何も聞かず、自分が今ここにこうやっていることさえ知らなくなることなどがありありしたのである。
 毎日毎日仕事ははかどって行った。
 そして、もう二三日であちら側から掘って来た新道と、こちら側から掘って行った道とが、立派に合おうという日である。
 平らな路の間だけに、大きな花崗岩のロールを転がすことになった。
 その日はもう大変にいい天気で、このごろにない暖かな日差しが朝早くから輝いて、日が上りきるとまるで春先のようにのどかな気分が、あたりに漂うほどであった。
 一区切り仕事を片づけた禰宜様宮田は、珍しい日和《ひよ》りにホッと重荷を下したような楽な心持になって、新道のちょうどカーブのかげに長々と横たわりながら、煙草をふかし始めた。
 久振りでいい味がする。
 後から差す日は、ポカポカと体中に行き渡って、手足や瞼が甘えるように気怠るくなる。
 見わたすと、彼方の湯元から立ち昇る湯気が、周囲の金茶色の木立ちの根元から梢へとほの白く這い上って、溶けかかる霜柱が日かげの叢で水晶のように光って見える。
 仲間達の喋る声、鍬の刃に石のあたる高い響などが、皆楽しそうに聞えて来る。
 禰宜様宮田は、何ともいえずのびのびとした心持になって来るとともに、また自分の心の奥にある露の雫のようなものへ、自分のあらいざらいが吸いこまれて行くような気がし出した。
 ぼんやり眺めている眼には、すべての物象が一面に模糊としたうちに、微かな色彩が浮動しているように見え、いろいろの音響は何の意味も感じさせないで、ただ耳の入口を通りすぎる。
 深い深い水底へ沈んで行く小石のように、まっすぐにそろそろと自分の心の底へ彼の全部が澱《よど》んで行ったのである。
 皆の者は、ガヤガヤ云いながらロールを動かして来た。柄を引き上げて、一列に並んだ者達は両手はブラブラさせながら、てんでんの胸で押していたのである。
 けれども、微かな勾配で自然に勢のついた
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