人を怨んだり、憎がったりするなあ、はあ真当なこっちゃあねえ。
 そう知りながら、恨めしいような心持や、憎らしいような心持が、忘れようとしても忘られず心にこびりついているから、彼はせつないのである。
 もうやがて近々に別れなければならない、耕地を見歩きながら、このことを思う彼の眼には、いつでも止めるに止められない涙が湧き出して、大きい、あの子供らしい目が何も見えなくなってしまうのが常であった。
 海老屋の御隠居……俺が田地……子供等……俺が死んだ後あ、はあ何じょって奴等あ暮してんべえ。そして、あの海老屋の若者を救い上げたときの歓《うれ》しさを思い出すと、彼は全く堪らなくなる。
 今はもう、皆どこさかぶっとんで行ってしまったあのときのあんなに仕合わせだった心持を思い出すと、それが追憶である故に――これから二度と会うことの出来ない、昔の思い出であるために――一層慕わしく、なつかしく胸を揺られる。
 こういう原因《もと》に「それ」がなったのだと思うと、ほんとに何とも云えない心持がして来るのである。
 一思いに、あのときの「その喜び」も何も、皆怨みや憎しみで塗り潰してしまえれば、それは却って結構かもしれない。
 が、そうはならない。今の苦しさが強ければ強いほど、あのときの思い出は、はっきりと、あのときのままの新しさをもって浮み出して来る。あのときの通り明るく、暖く歎いて行く自分を迎えてくれるのである。
 それがたまらない。
 彼の心は、ただ土地が惜しい、年寄りの仕打ちが恨めしいというばかりではない、あのときの、あの歓びを憶い起すに耐えないような心持が――それだのにまた、憶い出さずにはいられない一見矛盾した感情が、自分でどう自分を処していいか分らないように湧き上る。
 生活の基礎が、ぐらついている不安、家族の者共に対する愛情、真当な何物かに対する憧憬等が、彼には一つ一つこういう風な区別をつけられていないだけ、それだけ混雑したひとしお悩ましい心持になって、彼等の言葉で云う心配負《しんぺえま》けにとっつかれた状態にあったのである。
 重い白土の俵を背負って、今日も禰宜様宮田は、急な坂道を転がりそうにして下りて来た。
 窮した彼は、近所の山から掘り出す白土――米を搗《つ》くときに混ぜたり、磨き粉に使ったりする白い泥――を、町の入口まで運搬する人足になっていたのである。
 できるだけ賃
前へ 次へ
全38ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング