いいことなどを、しまいに唇の角から唾を飛ばせながら喋る番頭の傍について、在《ざい》の者のしきたり通り太い毛繻子の洋傘をかついだ禰宜様は、小股にポクポクとついて行ったのである。
 海老屋では、家事を万事とりしきってしているという年寄り――五十四五になっている先代の未亡人――が会った。
 金庫だの箪笥だのを、ズラリと嵌《は》め込みにした壁際に、帳面だの算盤だのをたくさん積み重ねた大机を引きつけて、男のような、といっても普通の男よりもっとバサバサした顔や声を持ったおばあさんが、ムンズという形容がおかしいほど適した形をして座っているのを見ると、あれでもおばあさんだそうなという感じが、一層禰宜様宮田の心をまごつかせた。
「はあ、お前さんが宮田とお云いか……」
 丁寧に頭を下げた彼の挨拶に答えた、彼女の最初の、太いかすれた声を聞いた瞬間から、もうすっかり彼の心は、受身になってしまって、いつもの「俺」の逃げて行き方が、もっと早く、もっとひどく行われたのである。年寄りはあんな大男の息子を助けた男というだけで、もっとずーッと体も心もがっしりした元気な男を期待していたところへ現われた彼は、余りすべてにおいて思いがけない。
 おばあさんは、何だか滑稽なような、お礼を云うのも馬鹿らしいような気持になってしまった。
 そして、臆している彼の前にこの上ない優越感を抱きながら、お礼を云うのか命令しているのか、さほどの区別をつけられないような口調で息子の救われた感謝の意を述べた。
 私のようなものが、お前にお礼を云うのさえ、ほんとなら有難すぎることなのだという口吻《こうふん》が、ありありと言葉の端々に現われているけれども、禰宜様宮田はちっとも不当な態度だと思わなかったのみならず、彼女がほのめかす通り、お礼などを云われるのはもったいないことだと思っていたのである。
 お前さまは海老屋の御隠居であらっしゃる。そんにはあ俺あこげえな百姓づれだ。そこにもう絶対的な或るもの――禰宜様宮田にとってはこの上ない畏怖となって感じられた、両者の位置の懸隔――を認めることに、馴されきっているのである。
 何を云われても、彼はただハイ、ハイとお辞儀ばかりをした。
 一通り云うだけのことを云うと、年寄りはもったいぶった様子で、仰々しい金包みを出した。
 麗々と水引までかかっている包みを見ながら、禰宜様宮田は、途方に暮れた
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