するということが出て居ります。それを読んで私は非常に悲しく思いました。なぜならば、この数年の間、若い者の生命は、どう大切にされたでしょう。若い者の純な心からの正義心や、若い者の伸びようとする希いや、そういうものが果して大事にされて来たでしょうか。よいとか悪いとか云っている場合ではない、これも戦争のため、あれも戦争のためと、落付いて反省させるひまさえ与えずに来て、その結果の道徳の低下を、若い人々の責任として丈せめるならば、それは、ずいぶん無残なことだと思います。私どもは、今こそこの数年の間の生活を苦しいものにしていた数々の困難を解決するために、私たちの力で私たちの生活、若いものにふさわしい立派なものとしてゆく力を養うために、立ち上らなければならない時だと思います。近頃「自由」ということが云われます。自由ということの本当の意味は、どういうところに在るのでしょう。私たちが風にまかせ流れにまかせた一枚の落葉のように、ふらり、ふらりと日を暮すことでしょうか。決して、決して、そうではないと信じます。私たち一人一人が、自分のこころもちと行為とに責任をもって、正しいと思うことは正直に主張し、正しいと思うことを実行する方法を思いめぐらし、そして其を実現させてゆく、その態度こそ自由というものの本体であると思います。
 例えば、食糧の問題にしろ、若い純な少女として、只大人が今している通りを真似て、しかも大人より却って「心臓がつよい」という風になって行くしかないものでしょうか。
 どんな家でも、親たちは子供が心から嫌がることについて、平気ではありません。何しろ、うちでは娘がいやがって、ききませんもので、とお母さんが、何事かしようとしてやめる場合は沢山ありました。もし、今の闇で命をつないでいるような暮しを、日本じゅうの少女たちが、悲しがり、立腹し、ちゃんとした解決を求めて物を云いはじめたら、其は、すべての人々を一層本気に考えさせ、工夫させ、よいと思う方法を試みる勇気を起させることだろうと思います。
 沢山の学校が戦災を蒙りました。そのために校舎が無くなったところもあります。大変不自由な一時凌ぎの場所で、この寒い冬を迎えて勉強してゆかなければならない人も、どっさり在りましょう。学校どころか、家が戦災で失われた方々も少くないでしょう。
 学校の問題については、先生と父兄とにだけ万事をまかせて、生
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング