りした少女達は、食べる問題は決して親や、兄姉にまかしてだけは置きません。折あるごとに自分も探して手に入れなければならないという必死な心持を持っています。しかしその娘さん達は自分の働いたお金で食物を得て行ける年齢ではないし、また食物そのものの値段が、今日ではもう法外なものになっているから、お父さん達が正当な働きで得て来るお金では十分食べて行くことの出来ないような時になっています。よいと云っても、わるいと云っても生きて行くには万事闇で行かなければなりません。此の事情のために若い少女達まで、いつの間にか闇は当り前。要領をうまくして、少しでもどっさり手に入れる方が得だというような考に、いつしか馴らされてしまっているのではないでしょうか。
女の人は今まで社会的に大変|下手《したて》に出るよう馴らされて来ていますから、お金は足りない。が、どうかして物を買わなければならないというときに、自《おのずか》ら若い女性達は、自分が若い娘であるという一つの有利な条件を、自分で知ってか知らずかそれを愛嬌として使って、何となしに物をせしめるというような結果にもなるわけです。また大人が経済的に非常に苦しい、月給では迚も足りないことから、闇の上前をはねてやりくることも見ないではないでしょう。人間は、先ず正直でなければならないという、一番大事な点が今日では互に信じられないようにまでなっています。正直で飢死《うえじに》する方が正しいのか。それとも、要領をよくして生きる方が得なのか。そう訊かれたとき、幾人の少女が自信をもって答えられるでしょう。
こういう人間の大切な問題について、分りよく教えて呉れるような教課書は一冊もありません。音楽とか、絵画とか、芝居とかいう芸術を通じて、人間の生活は高貴なものであって、美しく正しく生きようとするよろこびにこそ生き甲斐があるということを教えて行くようなものは不足しています。体も精神も成長の慾望に溢れている少女達は、お腹《なか》の空《す》いているのと一緒に精神の空腹にも曝されていると思われます。しかし腹の空《す》いている方が先ですから、面白さを求めても満たされず、熱中する目当もはっきりしない。兎に角お腹《なか》が空《す》くわという気持で、露店でも見ながら街を歩くでしょう。
今日あたりの新聞をみると、少年少女の犯罪が非常に多い。特に少女の脱線ぶりがひどい。一斉検挙を
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