ょう。しかし決してもう二度と帰らない御兄弟を持った娘さんもあるでしょう。それから皆さんのお父さんも、徴用から解除され、或は復員になって家庭にお帰りになった方もあるでしょう。しかしまた決して二度と帰らないお父さんを持った方達も少くないでしょう。また帰っていらしても、戦争のために不具になって、娘《こ》としてまた妹としてその人達にいつも親切にして上げたい、何か幸福にして上げたいと思わずにいられないような状態で、新しい生活が始まっている方々も多いでしょう。
社会の状態は大変早い勢いで変りました。今日では、みなが自由であるということ。生活を喜んで営むべきである。正しいと信じたことは、ちゃんと言い、又行うべきである。人間らしい生活を作るために色々の条件を改善して行くべきである。そういう声がどこでもきかれるようになりました。それは全く当然であると思います。何のために戦っているのか本当には分らない戦《いくさ》のために、非常に沢山の人が殺され、国民の生活が破壊されるのを黙ってこらえて行かなければならぬというようなことは間違っていたのですから、今日その間違いを認め、そこから新しい生活を築き上げて行くということこそ、生きるよろこびだと思います。
ところが、そういう明るい、晴れやかな希望に照らされた建設の可能を聞く一方、実際には私どもの毎日の、朝から晩までを満している、いろいろの心配、困難、わけのわからないことがまだまだ決して消えていないのです。
まず第一に食糧の問題があります。男でも女でも、年寄でも子供でもみな今日は食べる物が足りません。おなかの空くことは、昔は母親が心配して何とか食べさせて行けました。今日はお母さんだけでは間に合わないでお父さんが動いています。お父さんが動いても子供が大勢の場合には、まだ不充分で、女学校の一年、二年、ひどい場合には国民学校の上級生の小さい人達までが、自分の智慧で食物を見つけようと思うようになって来ています。疎開児童は田舎へ行って爆弾からは護られたけれども空腹からは護られませんでした。疎開学童は働く楽しみのために農家を手伝ったのではなくて、そうすれば食物を貰えるから、その目的のために働きました。それでも疎開児童が帰って来たときに、親は涙をこぼすほど痩せました。皆さんの御弟妹もそうであったかもしれずあなた方自身もそうだったかもしれません。
今日しっか
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