マージーは、彼に委せた右の腕にグッと力を入れながら、体を浮かせるようにして、不自然な形で後方に残った左足を前へ引こうとした。
「どうしたのマージー」
「踵《かかと》が挾まったらしいの」
「踵が挾まった? どこへ」
Wはちょっと小戻すると、さながら落した手巾《ハンカチ》を拾おうとするより、もっと落付いた何でもないふうで彼女の華奢《きゃしゃ》な、白い長靴の上に身を屈めた、この刹那、彼の脳裡では、妻の靴の踵が線路と板との間に喰われたその事実と、前後に連関した何事をも考えることができなかった。今、マージーの動けなくなった、同じ線路の上を、猛烈な勢で突進している列車の薄黒い連鎖と、このことの間には、その瞬間何の連絡をも取っていなかった。或は、列車という意識さえ、彼の心には浮んでいなかったといっても好いほどの驚くべき余白《ブランク》が、幸福で身慄う彼の、形の好い頭のうちに生じていたのである。
興奮が産んだ、この無意味な意識の余白は、いつかマーガレットにも感染していた。彼女も彼と同様の放心状態に在った。まるで日向で草でも見るように、
「取れないだろうかね」
と呟きながら、跼んで良人の、月光に白
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