出来るだろう。
特に日本は若く而も早老な社会機構によって、ジャーナリズム内の理想主義と実利主義との紛糾は、呼吸荒い時代に揉まれて様々な内容がその日暮しに陥り達見を失う危険をもっていないとは云えない。
先頃、二晩つづいて東京に提灯行列のあった一夜、現代日本の最も名望ある雑誌の或る会合が催された。その社としては懐古的な意味をもった催しであったが、主幹に当る人はそのテーブル・スピーチで今日社が何十人かの人々を養って行くことが出来るのも偏《ひとえ》に前任者某氏の功績である云々と述べた。今日に当って某誌が日本の文化を擁護しなければならぬ義務の増大していることを感じる言葉は聞かれなかった。だがその某氏は、現代ジャーナリズムが或る方面から極度に批判性を抹殺されていることに対しては、ジャーナリズム本来の性質に立って全く正当な不承服を感じているのが事実なのである。
理想主義と実利主義との摩擦はジャーナリズム経営の立場にある人々の性格の中に在るばかりでなく、経営の実利性そのものに影響しているところが、歴史の単純でない面白さであろうと思う。ジャーナリズムのこの機微と読者の声、要求との関係の中にこそ案外
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