微妙な人間的交錯
――雑誌ジャーナリズムの理想性と現実性――
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)所謂《いわゆる》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三七年十一月〕
−−

 今日の雑誌ジャーナリズムは、大ざっぱにだけ眺めわたすと満目悉く所謂《いわゆる》事変ものの氾濫である。すべての雑誌の表紙は刺戟的なグラビア版で赤や黒のフラッシュのついた文字で彩られているようなのであるけれども、そうかといって単純にキングと文芸春秋とは全く等しい傾向をもって、戦時特輯をしているかと云えば、そうでないことは自明である。
 ここに極めて複雑である今日の雑誌ジャーナリズムの感覚とひいてはジャーナリストそのものが現代に処する文化的相貌の複雑さが反映していると思う。日本の文化、民衆の道は難航である。それがそっくりジャーナリズムに現れている。
 明治の初頭、ジャーナリストたらんとした人々、或はジャーナリズムに関係しようとした人々は、当時の日本文化の進歩に対して国際的な又進歩的な信念をもっている人々であった。社会事情がそのような自
次へ
全6ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング