たり落ちる涙にあたりはかすんで耳は早鐘の様になり、四辺が真暗になる様な気がして誰に一言も云わずに部屋の隅の布団のつみかさなりに身をなげかけた。
 女達は私の左右に立って「どうぞ、一言呼んで差しあげて下さいませ。どうぞ、どんなにまあお待ち遊ばして」
 今はもう只うとうとと眠って居る様な妹に一言云いたいために――一度その名を呼びたいと私は唇をしっかりかんで唇のふるえるのを鎮め、私の顔を苦しく引きつらして行く痙攣を押え様とした。
 二三分の後わずかに静かになった心をそうっと抱えて私は可哀そうな幼い妹のそばに座った。
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「華子さん、華子さん。
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 二言三言私はようやっと呼ぶ事が出来た。けれ共何の返事も、まつ毛一つも動かさない眼を見た時又悲しさは私の心の中を荒れ廻っていかほどつとめても唇が徒に震える許りで声は出なかった。
 母親は今朝はいろいろのまぼろしを見て、私が帰って来て嬉しいと云ったとか、視神経が痛められて何も見えず暗いから燈火をつけろと云いながら声ばかり聞えて姿の見えない母を求めて宙に手さぐったとか涙のにじんだ辛い辛い声で話してきかせた。
 
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