のも無駄になった。
 この次又あれを着せてもらう妹は出来ないだろう。誰にやったらよかろう。
 着られるのを大変たのしんで居たのに。

 妹のなくなる時の熱は四十二度だった。
 四十度少しの熱で人事不省になった私の事を思えば命をとられるのも無理はない熱である。お腹が悪いばっかりにそんな熱が出ようとも思われないほどだ。身内を流れて居る血が湧き返って居る様だろうと思う。段々迫って来る「死」に抗って争う「生」が燃える様な熱を身内に起して、それが力つきて下り坂になった時、「死」はますますその暴威をたくましゅうする。
 皮と肉との目に見えない中に起るこの世の中で一番大きな争闘があんなに静かに何の音も叫びもなく行われ様とは思いも寄らない事である。
 人間同志の闘も心と心の争いも沈黙と静寂の裡に行われるものほど偉大に力強く恐ろしいものなのであろう。沈黙の人間と争闘と死は恐ろしいものである。

 死顔に差す光線は糸蝋のまたたくのと暁の水の様な色が最もまるで反対に良い。
 黄金色の繁くまたたく光線にくっきりと紫色の輪廓をとって横わって居る姿は神秘的なはでやかさをもって居る。
 うす灰色から次第次第に覚めて来て水の様な色がその髪を照らした時、
 世のすべての純潔なものは皆その光線の下に集められたかの様に見える。
 顔は銀色に光り髪は深林の様に小さい額の上にむらがりかかる。
「死」によって浄化された幼児の稚い美くしさはまぼしいほどに輝き渡る。
 只見るさえ黄金色の輝きの許に有るものは美くしいものをまして照されてあるものはすべてのものからはなれて人間界からはなれた或る国に行って居るものだと信じられて居る死人である。
 子供が魂しいに去られた後の姿ほど尊いものはない。まして水色と黄金色の許にあるそれは。

 私の妹が生れたのは今から五年前の三月一日、雨が降って居た。
 亡くなった九月十一日も雨が降り、小雨にけむる町中を私共は十三日に青山に行った。
 雨に縁の深かった妹は雨の日に世に出て同じ様な日に世を去った。
 何でもない事で居て私はやたらに思い出される。
 私が斯うやって書いて居るのは何のためであろう。
 書いているのが嬉しいのではない。
 却って苦しみである。
 思い出の涙は一行書く毎に頬を流れ、よしそうでないにしろ私の心は悲しさに満ちる。
 けれ共私は書かないでは居られない。
 不思議な
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