きで胸の中に両手を突き入れる事などは亡くなる少し前からちょくちょくして居た。
 小さい丸い手で髪をさすったり顔をいじったりした揚句首にその手をからめて、自分の小さい躰に抱きしめて呉れた思い出はどんなに私を悲しい心にさせる事だろう。
 私は大変なつかしがって居て呉れた事は兄達に怒られる毎に泣きながら私の名を呼んだのでもわかる。
 私の心を今でもかきむしるのは私のもう一つの名をつけて呉れたのはこの妹である事である。
 自分は中條華子と云う、私は(中條で)自分の姉だからねえちゃんと呼びならして居たから「中條ね」であると云って「中條ね」「中條ね」と笑いながら云って居た。わけをきかなければなかなかわけの分らない名でありながら私はこの名を低く口に繰返して不思議にむせび泣く様な気持になる。
 只、その名をつけて呉れた妹を失ったと云うばかりで私の心はなげくのである。
 今斯うしてせわしい時をいとう事もなく悲しかった時の事をその事によって得た心持を書き記す事をするのも何と云う心が私に斯うさせるのであろう。
 皆骨肉のあやしい愛情が私の手にペンをとらせ文字を綴らせるのではないか。
 只一人の妹を失った姉の心はその両親にもまさって歎くものである。
 あの時に髪を結ってやればよかった、あの時にあの着物をきせてやればよかった。
 あの時にもう少しながく抱いて居てやればよかった。
 今はもう取りかえしのつかない事を悔いる心は日々眼にふれるささいな事によってでも起る。
 あの幼ない妹にそそぐべき愛はあれよりももっともっと沢山あったのではあるまいか。
 召使のものたち、又見知り越しのものたちはその時こそ涙をこぼしもし思い出を語り合いもするけれ共、十日祭も早とうにすんで仕舞った今日、堪えられない思い出にふけって涙をこぼすものがどこに有ろうぞ。
 刻々と立って行く時はどうにでも人の心をかえて行く事が出来る。幾久しい時が立つとも変らないものは只一人骨肉の愛情ばかりで有ろう。
 この世の限り最も根づよい頼もしいものは骨肉の愛があるばかりではあるまいか。
 私は今となって、骨肉の愛と云うものがいかほど力強いものであるかと云う事を知った。
 今となって彼の妹が居た時分の悪戯をだれが云い立てるだろう。
 誰がそのきかない子だった事を云っていやな顔をするものがあるだろう。
「死」ただ此の一言のために妹に対する人々
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