較的芝居は観る方で、演芸画報をかかさずとっていたが、有名な沢正を観たのは、お孝さんのすすめによってであった。帰って来て、
「あれは、どうして熱がある。あの男は相当のものだ」
と云ったりしていた。
「あの熱のあるところが、お孝さんの気性に合うのだね。ただの役者じゃないよ」
 そして、感慨ふかげであった。
「お孝さんも熱情家だからね、品川の伯父さんの娘だけあって、あらそわれないところがある」
 シラノ・ド・ベルジュラックを白野弁十郎として演じたのは、沢正一代の傑作であり、特質を全幅に活かしたものであったろうが、母もその頃は、お孝さんの傾倒に十分の同感をもつようになっていた。
 段々接触が多くなるにつれ、お孝さんは母のいいところも至らぬところも理解されたらしいし、母もお孝さんの裡に、自分の血管のうちに流れている一種の激しい、しかも正直で術策のない、ロマンティックな要素も多い熱血を感じとったらしく思われる。
 私は、漸く人間の心持の曲折や、ことには女の生活の明暗が、いく分身にひき添えてわかる時代に入って来た。
 母の生活にあらわれる光りと翳を、女性のその時代、その年頃の生命の波だちとして感じら
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