しんだ女いとこの一人ではなかっただろうか。
 その家の若い令嬢として、お孝さんは、私たち子供連のことも、おそらくは大磯のことも、きっと茶話に出て知っていられたことだろうと思う。
 十八九の娘にとって、十以上も小さい子たちは、何と稚いものに映ることだろう。反対に、七八つの女の児の目に年ごろの女のひとは、何と大人に思え、更にその児が成長してももうそのときは子供二人三人の母となっている年上のひとは、やはり全く別の世界にいる大人として思える。
 母がお孝さんと近くに呼ぶひとを、私はそういう心理から、古田中さんという学生っぽい呼びかたで呼び、格別お宅を訪ねるということもなく、親切なことづけを母からきいているばかりで、何年も経た。
 考えてみると、母は風変りめいたところがあっと思う。私たち子供らは、小さい時から親戚へ連れられて行くというようなことが実に少なかった。すこし大きくなっても、それは同じであった。母とお孝さんのところへ上ったのも、思えば、芝のおうちが一度ぐらいのことではなかったろうか。
 大正の中頃から昭和へかけての時分、母はお孝さんに誘われて沢田正二郎の芝居を見物するようになった。
 比
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