業をもたらした見識を賞讚してきかせた。
「謙吉さんが生きていてくれて、品川の伯父さんと一緒だったら、お母さまもどんなに安心だったかしれないのにね」
とも云った。
 謙吉さんというのは母の長兄で、アメリカへ行っていて、帰ったら程なく気が変になった。田端の白梅の咲いている日当りよい崖の上に奥さんと暮していて、一日じゅう障子の前に座り、一つ一つと紙に指で穴をあけて、それを見て笑っているという気違いであった。そして遂に正気に戻らず亡くなった。
 品川の伯父さんは、良人が留守な姪の子たちを丈夫にしてやろうと、大磯の妙大寺(ほんとはどんな字を書いたのかしら、わからないが)という寺の座敷を一夏借りて、皿小鉢のようなものまで準備された。
 西村の祖母、母、子供三人の同勢はそこへ出かけて、子供らは、生れてはじめて海岸の巖の間で波と遊ぶ面白さを味った。
 お寺の座敷の横は深い竹藪であった。裏に蓮池があった。蓮の実をぬいて喰べることをお寺の小僧から習った。雨が降ると、寺の低い方にある墓場で、火が燃える。夜になると雨戸のところから其が見えると、ぞくぞくすることを教えたのも、その小坊僧さんであった。
 子供らに
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