するのを不思議に考えるのであった。

 私たち中條の子供たち、特に上の二人にとって、西村の伯父様という名は、特別に親しみがあった。その伯父様はいつも、品川の伯父さんと母に呼ばれ、明治三十七年頃から数年間父が外国暮しをしていた間、若い母は子供三人、義妹義弟との生活のなかで、少なからず、「品川の伯父さん」に心だよりを感じていたらしく思われる。
 母の父、私たちにとって西村のおじいさんになる人は、明治三十五年ごろに没していて、向島の生家には、祖母と一彰さんと龍ちゃんという男の子がいた。
 風呂場のわきにかなり大きい池があって、その水の面は青みどろで覆われ、土蔵に錦絵があったり、茶の間にはお灸の匂いが微かにのこっているという風な向島の家は、陰気でいつもいろいろのごたごたがあった。
 向島のおばあさんと母とが、林町のうちの長火鉢の前で二人とも涙をこぼしながら何か云いつのっているのを、小さい私が雪どけ水の落ちる軒下で龍の髯をぬきながら、困惑した気持できいていたようなこともある。
 たった一人の妹とも、母は苦しい縺れのまま生涯過した。
 小さい娘に母は品川の伯父さんが、明治の日本へ初めて近代の皮革事
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