したら、夫婦のよさはどこにあろう。生涯を倶にする者同士の信頼は、何を根として保たれよう。そう思えた。
 私はそのままを話し、夫人も同感のようであった。
 おそらく御良人も、何かの折にふれては、孝子夫人の痛々しいばかりなそこまでの心のうごきを、知って居られたにちがいないと思う。
 昭和十六年という年は、日本じゅうが大きい変動にめぐり会った年であった。私ひとりの身の上にも様々のことがあって、二十年ぶりで林町の家へ引越して来たり、その夏の苦しい気持は、もう引越すばかりになっている家の物干にせめては風知草の鉢でもと、買って来て夜風に眺めるほどであった。
 秋になって落ついたらばと思っているうち、はや冬となった。十二月になって八日にアメリカとの戦争が開始された。
 孝子夫人の訃報を、私はごみっぽい板じきの室に立ったままで語る妹から、伝え聞いたのであった。
 この十年の間に、私はまず母を、次いで父を喪った。いずれも只一夜の看病さえ出来ない状況の下で。そのことは一応悲しい訣れのかたちであるけれども、思い沈めて考えると、私にとっては却って我々親子の縁というものがどんなに深いかを知らせることになった。二
前へ 次へ
全17ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング