を見ない誤った至上主義的理解からは、幸い久しい以前にぬけでているのであるが、やはり転向作家のことはプロレタリア文学の発展の上に個人的であるとともに普遍な問題を含んでいると思うのである。
 実際の場合について見れば、なるほど転退は一人一人の事情によって、それぞれのやり方で個人的になされたであろう。けれども私は、杉山氏のように「村山はそんな立派な人物ではなかったから止むを得ない」という風にいっただけでは十分自身にむかって満足できかねるのである。
「白夜」は、作者が客観的情勢の否定的暗さとともに自身の暗さを摘出しようと試みた点で、ある評価をうけた。それゆえ、「再出発」についての文章の中でも、村山は知ってか知らずか、特に自身の曝露ということを強く云っているらしく思われるけれども、個人的な性格解剖の限度内で、いかほど自身の暗さを露出しても、プロレタリア文学の大局に、はたしていくばくのプラスであろうか。更に進んでよしんば、自身の弱点のすべてを、インテリゲンチアの小市民性によるものと結論し糺弾したとしても、現実の本質はつかまれたという感じを、私たちに与えないであろうと思う。
 私たちの切に知りたいの
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