実に向い、文学に向って行かなければ駄目なのだ」と、どちらかといえば主観的なものごしで良心を吐露している。そして過去の運動がその段階において犯していたある点の機械的誤謬を指摘することで、今日の自分がプロレタリア作家として存在し得る意義を不自由そうに解明しているのである。(作家的再出発)
プロレタリア文学運動が成熟すればするほどその裾は幅広く、襞は多いものとなって前進してゆくであろうから、もとより私は自分をもこめるさまざまの作家が、それぞれの可能性の上に立って、たっぷり仕事をやってゆき、その質を高めてゆくことを自然であると信じている。
もっとも正直な打ちあけ話をすると、私はある初歩的な時期、一つの疑問をもったことがある。それは、どうしてプロレタリア文学運動の中では、一例をあげれば職場でのストライキが高潮に達した時にあぶなっかしい幹部として監視をつけられたというような話のある人や、左翼の政治的活動から自発的に後退の形をとってきたような人が、組合にいたとか、組織についていたとかいうその出身や経験を評価され、堂々と通用しているのであろうかと、けげんに思った時代があった。そのような素朴な、歴史
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