)」の注記]う波が、白い水泡《みなわ》をのこしては引いて行く様子は必[#「必」に「(ママ)」の注記]して悪いはずもない。
江の島があるばっかりに、ここいらの品がすっかり落ちて仕舞った、惜しい事だ。
そうかと云って又、江の島があればこそ、私達の様なものまで、わざわざ時間をかけて来るのでもある。
江の島の弁天様が、おいであそばさなかったら、ここへ、よし来は来ても、御飯をたべる処もない事を思えば、まんざらそう、けなしもならないわけである。
潮加減か、波のすぐ下に、背の青い小魚がむれて、のんきそうに、ゆーらり、ゆーらりとゆれて居る。
棧橋の上に、それをねらった二三の漁師が、「あみ」を手にもって、ニヤツキながらそれを上から見下して居る。早く、どっかへ行けばいいにと思って私はその漁師とならんで、その青い小魚の群に気をとられるのである。一体冬の海は、春の海、夏の海にくらべて、厳かな感じをあたえるものである。
冬は、小田原の海が見物だと思う。
もう、ゆだんのならない大波が立って、汀から、八九尺の上まで飛びあがってから、投げつけられた様に、砂の上にくずれ落ちる。
したがってその音も、とうてい、ここいらの五倍六倍ではきかない。
先ず、沖の方から、黒い方な波のうねりが段々こっちにせまって来ると思う間もなく、グーンと空高くはねあがる。
それと同時に、私の身丈の倍でもきかない様な、濃い、黒藍の、すき透る様な、すごく光る屏風が、上《う》えの方に白い線をのせて目の前に立つと、その上の方が、段々と下を向いて来て、終に、砂の上にひどい音と共にめちゃめちゃに砕ける。
その凄い屏風が段々くずれかかって来る時の気持と云ったら、何と云おうか、その恐ろしさと云ったらしらずしらずの間に手を握りつめて居るほどである。
海の面は、此処の様に、晴《あか》るい色ではなく、まるで黒い様な色をいつでもして居る。
目をさえぎるものとしては何にもない。
大島や伊豆に通う蒸気船の、ボボー、ボボッボーと云うめ入《い》る様な汽笛がその黒い波面を渡って来る。
酒匂《さかわ》河の蛇籠《じゃかご》に入れる石をひろいに来て居る老人だの小供だのの影が、ポツリポツリと見える。
病人でもなくて、遊びに来るものはめったにない。
それだけ静かである。
自然で、俗気のみじんもない、どうとも云われずどっしりと人にせまっ
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング